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(――ここも、異常なし)
 薄闇に小さな光を一巡りさせ、屋敷が平素と変わりのないことを確かめる。
 大豪邸と呼ぶほど広い屋敷ではないが、置かれている調度品はどれも高級なものばかりであるし、主の仕事柄屋敷には機密情報も少なくはなかったから、日々の警備は決して手を抜くことはない。
 それに……今この屋敷には、人々の注目の的である宝石があるのだ。
 二人の警備員のうち先を歩く青年が、もう一人の青年を振り返った。
「マツカ、確認は」
「あっ……は、はい。異常ありません、セルジュ先輩」
 マツカと呼ばれた青年が慌てて返答する。
 セルジュは軽く頷いて、再び歩を進めた。マツカがその後に続く。

 月も顔を出してはいるが、濃くたち込める雲と霧雨に阻まれその光はぼんやりとしか届かない。窓越しの屋敷の中であれば尚更で、二人が持つ懐中電灯の明かりだけが頼りだ。
 コツ、コツ――と、二人の足音だけがいやに大きく反響する。平素から静かなところではあるが、薄闇の中ではただただ不気味だ。
 外では相変わらず雨粒が窓ガラスを濡らし、不明瞭な闇をより一層暗くしていた。

 マツカが不安そうな顔を浮かべながら、懐中電灯の明かりを目で追っている。
 先に沈黙を破ったのは、半歩先を歩くセルジュの方だった。
「――そう言えば知ってるか?あのダイヤモンドの名前の由来」
「えっ」
 不意に話しかけられ、マツカが顔を上げる。仕事に真面目なセルジュが巡回中に雑談をするのは珍しい。
「あのダイヤって……『テラ』のことですか?それなら、聞いたことあります。確か、その美しい青い色を空にある蒼い星に例えたんですよね?」
 『テラ』とは、青く輝く星を意味する言葉だ。その宝石は全く加工の施されていない原石でありながら他を寄せ付けぬ輝きと澄んだ青い色彩を持ち、それ故に「天上から降り注いだ青の星」と呼ばれるようになった、という話だ。
 そして今この屋敷に、その宝石がある。天上の青い星が、この屋敷に降り注いだのだ。
「あれだけ綺麗なんだから、もしかしたら『宝石の精霊』が宿っているのかもしれないですね」
 年齢にそぐわぬ無邪気な声でマツカが言った。宝石の精霊というのは、誰もが子供の頃一度は聞かされる御伽噺だった。
「馬ぁ鹿。そんな迷信……」
 マツカの言葉を一笑しようとして、そこでセルジュはふと言葉を止めた。そして、
「いや……あながち、間違ってないのかもな」
 などと言う。
「え、どういうこと……ですか?」
 セルジュの言葉に引っかかりを感じたマツカが思わず聞き返す。
「あのブルーダイヤモンドの名前の由来にはもうひとつ、面白い説があるんだ――」

 霧のような雨はまだ降り続いていた。
 巡回の足を止めぬまま、セルジュは話を続ける。
「あのブルーダイヤモンド、もともと出自が不明で、いつの間にか闇市場なんかで取引されたりしていたらしい」
「闇……ですか」
 マツカが顔を曇らせる。主の屋敷にそんな出自のものがあるのが、不安なようだ。
「ああ、だから……ちょっと、良くない品なのかもしれないが」
 セルジュも言葉を濁す。お世辞にも褒められたものとは言いがたいその宝石の出自を、彼はそれ以上語らずに話を変えた。
「兎に角、あのブルーダイヤモンドはその美しさで法外な値で取引され、とある富豪の手に渡った。だが――」
 そこですっと、セルジュが声を低くする。
 カツン、と、靴音が高く響く。
「――その富豪は、一月と経たずに謎の死を遂げた」
「え――」
 マツカが息を呑む。セルジュはそのまま続けた。
「それだけじゃない。その次にソレを手に入れた者も、その次、その次も――
 ある者は発狂し、ある者は謎の自殺、またある者は一家離散……次々と、まるで呪われたように……。そしていつしか、あの妖しい輝きを持つブルーダイヤモンドは、こう呼ばれるようになった」
「……」
 ごく、とマツカが息を呑む。
 タタ、タタ、と、窓を何かが叩いている音がする。
 いつの間にか、雨が激しくなっていた。

「古代語で、『TERRA』――『魔物』だと」








 ふと、月が翳った。
 雲のない夜だと思っていたのに、今の心情を読み取ったかのような影が鬱陶しい。ため息でもつきたくなった、その時――

 カタッ――
 不意に、物音がした。

(見回り……?いや、違う……)
 平素の見回りがある時間ではないし、第一物音がしたのは廊下からではない。外、だ。
 天窓になにかが映ったのが見えた気がした――月を翳らせていたのは、きっとそれだ。
(泥棒……?どうしよう、逃げるべきだろうか)
 だが万が一見張りに見つかったら、どう言い訳をする?ジョミーの事は、今はキースしかその正体を知らないのだ。
 ただの宝石が台座から逃げ出したとあっては、大騒ぎになるだろう。
 そうしたら、またここには居られなくなってしまう。
 そうしたら――次はどこへ行けばいい?
(逃げなきゃいけないのに……逃げられない……くそっ、警備はなにをやってるんだよ!)
 平素は寧ろ邪険にしか思っていない見回りに悪態をつく。
 だが……迷っているうちに、いつの間にか天窓にあった気配は消えていた。
 月は変わらず部屋に仄青い光を届けている。
 いつもと何の変わりのない、静かな夜の月明かりだ。
(……気のせい……だったのか……?)
 疲れているから、ありもしない翳りを見てしまったのだろうか――そう思い、ほっと胸の中で息をつき――



「こんばんは、初めまして」



 不意に、声がした。天窓からではなく、ジョミーのすぐ傍から。
(なっ――!?)
 驚いて意識を声のしたほうへと向ければ、そこにはいつの間にか一人の青年が立っていた。
 窓から差し込む月明かりが、青年を照らし出す。その幻想的な光景に、刹那ジョミーは目を奪われた。
 月の光に似た、銀の髪。
 ブラットストーンの深みとルビーの輝きを持った双眸。
 ビスクドールのような、白い肌。そして、恐ろしいほどに整った顔立ち。
 夢かと見紛うほどの美貌の青年が、柔らかな笑みを浮かべていたのだ。
(ど……泥棒……?こんな綺麗な人が……?)
 はっと我に返って――まず浮かんだのは、自分を……『テラ』を狙った泥棒という可能性。
 希少価値の高いブルーダイヤモンドは、今までも幾度となく盗難、強盗の対象となってきた。結果持ち主の家は踏み荒らされすべてを根こそぎ奪われる。『呪われた宝石』たる所以のひとつだ。
 だが目の前のニンゲンは、今まで見てきた所謂「泥棒」とは、随分とかけ離れた印象だった。
 まずその身なり。身にまとったスーツは処々に刺繍が施された、遠目にも上等な代物だ。目立たないことが第一であるはずの泥棒にはあまりにもそぐわない。そして何より、その男は舞台に立つ役者の如く、堂々としていた。
 それに、
(一体、どうやって中に)
 天窓は変わらず閉じたままだし、もうひとつの窓もガラスひとつ割れていない。唯一のドアもカギが掛けられたまま開いた気配もない。
 予想外の事態に混乱していると、その青年は困ったように首を傾げ、こう言ったのだ。
「……だんまりかい?そう警戒しなくとも良いのに」
(っ!?)
 話しかけられた!『石』の姿である、自分に!
 今まで、自分の存在に気付いたニンゲンなど誰一人いなかったはずなのに!
 ニンゲンに自分のことがわかるはずがない。ずっとそう思っていた。そうでなければあんなに衆目に晒されているのだから、すぐにジョミーの事などばれてしまっていたはずなのだ。
 でももし、実はこの男のように、自分の存在に気付いてしまうニンゲンがいるのだとしたら。
 そんなことはありえないと、経験がそう言っている。だからこの男は危険なのだと、理性がそう訴えている。
 気付かれてしまったのなら、じっとしている理由などない。早く逃げなければ――
 なのに……
《……僕が……わかるの……?》
 気付けば、そう尋ねていた。
 そうすると青年は、とても嬉しそうに笑ったのだ。
 それに思わずどきりとしてしまう。
(なんなんだよ、一体……)
 逃げなければいけないのに逃げなかった。黙っているべきなのに、思わず応えてしまう。先刻から制御できない感情に苛立ちを覚える。
 だからこれは、こんなに純粋な笑みなど向けられたことがなかったから、戸惑っているのだとそう結論付ける。
「わかるとも」
 青年は笑みを浮かべたまま応えた。
「美しい青を裡から照らす、太陽の輝きが見えるよ。
さあ……今度は君の姿を見せておくれ」
 すっと手が差し出される。
 まるで夜会のダンスの誘いのような言葉。そこに否やはない。
 その手に導かれるように、乞われるままジョミーはふわりと人の姿になった。
 小麦畑のような金の髪も、健康的な肌も、白い月の光を受けてどこか今は儚げに映る。
 『テラ』と同じ、澄んだ青の双眸が、真っ直ぐ青年へと向けられた。
 青年が眩しそうに目を細め、満足げに微笑う。
「――改めて、初めまして。至高の青の輝きをその瞳に宿す、金剛石の精霊よ。僕は、ブルーと云う者だ」
「……ブルー」
 その名を反芻するように小さく呟く。応えるように、青年――ブルーが頷いた。
「そう。……さて、次は君の名を、教えてくれるかい?」
「僕の……」
 名前は、と言おうとして、ふと言葉が詰まる。
 世界に名だたるブルーダイヤモンド。その呼称は様々だが、このブルーダイヤモンドを指す俗称は皆同じだ。

 『呪われた宝石――テラ』

 ジョミーはすっとブルーから目を逸らした。そして
「――『僕』がなんて呼ばれてるかぐらい、知ってるだろ」
 素っ気無く、そう返す。
 だがそれに対する返答は意外なものだった。
「いいや」
「――そんなハズないだろ。『テラ』の事を……幾人の人間を死に追いやった『呪われた宝石』を」















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