さら、さらり。

 黄楊櫛が髪を梳いていく。

 昇陽の光の一本を、慈しむ様に梳いていく。








○黄楊の櫛に光を通す○















「九郎さ……あっ」
 濡縁に橙の髪を見つけてとととっと駆け寄ろうとした望美は、その後ろにいた影に足を止めた。
 それを見て、唇に指を当てたまま弁慶はにっこりと微笑む。
 人好きのする笑顔にけれど望美はどことなく不満げな表情を浮かべながら、それでも今度は足音を立てないようゆっくり近づいて二人の隣に腰掛けた。
 弁慶は笑みを崩さぬまま、手にした櫛で九郎の髪を梳いている。
 こんなに近くにいるというのに、九郎は此方を見もしない。
 何となく覚えた違和感に、望美はそうっと九郎の顔を覗き込んでみた。
 だが九郎は全く微動だにしない。
 瞼は双方共に閉じられていてその琥珀の瞳を隠していた。
「……眠ってるんですか?」
「ええ、こうやって髪を梳いていると、たまにね。……疲れていたのでしょう、そっとしておいてあげて下さい」
 囁き声で二言三言、その間も弁慶は、ゆっくりゆっくり丁寧に、黄楊の櫛を入れていく。



 さら、さらり。

 黄楊櫛が髪を梳いていく。

 昇陽の光の一本を、慈しむ様に梳いていく。



 柔らかく櫛が通るたび、白い手に載せられた橙の髪がふわりと揺れる。
 それが九郎のちいさな呼吸に合わせ、また白い手に沈み込んでいく。
 その流れがあまりにも自然で――



「……ね、私も少ぉしだけ、梳いてみてもいいですか?」

 思わずそう言ってしまった。
 あ、と思ったが口から出てしまったものはもう遅い。

 二の句が継げずに口をぱくぱくさせる望美に、弁慶は何故か意味ありげな笑みを浮かべた後、「どうぞ」と櫛を手渡した。

 ――何だその笑みは。
 心の中で呟く。
 まるで勝利を確信した笑み。
 ――なんか気に入らない。
 気に入らない、けれど。
(九郎さんの髪、なかなか触らせてくれないし……)
 以前にも髪を触らせて欲しいと頼んだ時も渋い顔をされてしまったのだ。
 ならこれは願ってもないチャンスという奴だ。



 そうっ……と、長い髪に触れる。
 柔らかな、だが芯のある癖の強い髪。
(綺麗)
 光に透け過ぎずだからといって決して暗澹としない橙の色合いは正しく彼の人柄を表していると言ってもいいだろう。
 ――と。
「……ん……?」
「あ」

 ゆら、と九郎の頭が揺れて此方を振り返る。
 その拍子に髪がするりと手から滑り落ちてしまった。
 怪訝そうな琥珀とばっちり目が合って、望美はこわばった笑みを浮かべる。
「……何だ?……望美?お前、何をしている?」
「あはは……起こし、ちゃい、ました……?」
「?」

 固まっている望美と、状況が掴めず怪訝な表情を浮かべたままの九郎、二人に割り入るように横から弁慶が「九郎」と声を掛けた。
「何でもありませんよ。望美さんと他愛無い話をしていただけです」
 言いながらすっと望美の手から櫛を持っていってしまう。
 そしてにっこり何時もの笑みを浮かべた。
「さぁ、まだ途中ですから、座っていてください」
「そうか、すまないな」
「いいえ」



 さら、さらり。

 黄楊櫛が髪を梳いていく。

 慈しむ様に優しく優しく柔らかく。

 やがて――……



「…………寝てる……」
 唖然として望美は呟いた。
 さっき私が触ったらすぐ目を覚ましたくせに。
「他の人が触れると気付いてしまうようなんです」
 困ったものですね、と、にっこり。



(それって、つまり)
 入り込む余地ナシってことじゃない?
 静かに寝息を立てる九郎と、他では滅多にお目にかからない極上の微笑を湛えた弁慶と。

 二人を見て、望美はこっそり、ため息をついたのだった。










END





あれ…なんか気付いたら弁九←望の構図になってる…(笑)しかも程よく望美ちゃん性格悪ッ……!!
ていうか九郎はそこらじゅうから狙われているといいよって!!にこー!!(笑)
やっぱり九郎の髪は弁慶が結ってるんですよね…?あれ?これ公式?脳内補完?


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