今朝から皆の挙動がどことなくおかしい。
 それは具体的に何が、と問われると答えようのないものなのだけれど。









○何時もと違う日の朝は○















 私にとっては平素と変わりない朝だった。
 何時ものように夜明けとともに起き、身支度を整える。
 朝の勤行の為に外へ出ると、この時間には珍しく台盤所に灯があった。
 毎朝譲殿が台盤所で皆の朝餉を作っているのは知っている。だがそれは大概私の朝の勤行が終わる頃だから、この時間から灯があるのは珍しい。
 誰かが(特に兄上が)気まぐれでも起こしたのかと中を覗いてみれば、だが中にいたのは譲殿で、忙しなく動き回っては何かを作っているようだった。

「譲殿?」
「っわぁッ!?」

 声をかけた途端大仰なほど驚いた譲殿は手に持っていた何かを勢い良く取り落とした。
 薄黄色のとろりとした液体が盛大に床に飛び散っていく。

「さ、朔っ、おはようございます早いですねッ」
「……譲殿……あの……大丈夫かしら?」

 随分と驚かせてしまったことを申し訳なく思いながら、転がった入物を拾おうとして不意に横手から手が伸びた。

「おはようございます朔殿。毎朝御勤めご苦労様です」
「弁慶殿」

 いつの間にそこに居たのか、台盤所の雰囲気にそぐわぬ黒外套の青年はてきぱきとその場に収拾をつけていく。

「朔殿、ここは僕たちで片付けますから朝の御勤めに行ってきて下さい」
「え、でもこれは……」
「男手が二人もあれば充分ですよ。それに朝の御勤めは大事な仕事でしょう?」
 私にも責任があるのですから、と言おうとして言葉の先を取られてしまう。
 そう言われてしまえばわざわざ反駁してまで残ることもないのだけれど……。
「なら……二人にお任せしてもいいかしら」
「ええ」
 何だか押し切られたような気がしないでもないが、ここで言い争いをすることに何の意味もないだろう。私は素直に従うことにした。

「あの……朔」
「?何かしら?」
「……いえ、なんでもないんです。頑張ってください」
「?え、ええ……」
 何とも言いがたい微妙な空気だけをそのままにして、私はその場を後にした。



 今朝から皆の挙動がどことなくおかしい。
 それは具体的に何か、と問われると答えようのないものだったのだけれど。
 まるで私にとっては何もない一日が、皆にとっては特別な日であるかのように。



 母屋の一角に突然壁が出来た。
 壁と言っても衝立で廊下を塞いでいるだけなのだけれど、お陰で向こう側に通り抜けることも出来ない。
 衝立の向こうから兄上と九郎殿と思しき声が聞こえてくる。

「……く、何故でこのような事を……」
「……いじゃない、望美ちゃんの世界にはホント、面白い……」

「兄上?何をなさっているんですか?」
「うわっ、朔ッ!?」

 がたがたと慌しい物音とともに衝立の上から兄上が顔を覗かせた。

「一体何をなさっているんですか。こんな所に衝立があったら邪魔です。早く除けてくださいな」
「あっ、いや〜ちょっとそのなんていうか……除けられない事情があるというか……」
「事情?」
「うん、ちょっとしたことなんだよ、ホント、ちょっとしたこと」
 言いながら曖昧な笑みを浮かべる。
「終わったらちゃんと片付けるからさ、ね、少しの間待っててもらえないかな〜」
「……本当ですか?」
 知っている。兄上がこの曖昧な笑みを浮かべている時は、何かしら虚言を弄している時だ。
「朔殿」
 兄上の横合い、衝立の少し低めのところから顔を覗かせたのは九郎殿だった。
「今こちらは取り込んでいる。後にしてもらえないか」
「ですが九郎殿」
「こちらにも都合と言うものがある。朔殿は市に出て買い物でもしてくればいい」
 九郎殿はそれだけ言うと、すぐに衝立の向こうに姿を隠してしまった。
 邪魔だといわんばかりの態度は、戦の中規律にうるさい九郎殿らしい。
「……ごめんね朔、九郎も悪気があってああ言ってる訳じゃないんだ」
「わかっているわ」
 済まなそうに眉尻を下げる兄上に、私は笑って返した。
「では、私は市の方へ行ってくるわ。兄上、後は宜しくお願いします」
 このまま立ち止まっていても埒が明かない。九郎殿の言うとおり、買い物にでも出ることにしよう。

「……って九郎、市には望美ちゃんたちが……!!」
「……しまった……」

 背にした衝立の向こうから慌てた声が聞こえてきたような気がしたが、気にしても仕方がないだろう。どうせまた、兄上が何かやらかしたに違いないのだから。



 今朝から皆の挙動がどことなくおかしい。
 それは具体的に何か、と問われると答えようのないものだったのだけれど。
 まるで私一人立ち止まり、皆が先に進んでいるかのように。



 市へ、と来てみたはいいけれど、実際用など殆どなくて。
 足りないものをいくつか買い入れてしまえば、後はもうすることがない。
 だからといってそのまますぐに引き返すのは気が引けたし、どうせならと少し市を散策することにした。

 市の活気は平素と変わらず、けれどどこか、沈んだ影がある。
 仕方がない。今は戦の只中で、物流も人の心も流れが淀んでしまっているのだから。
 今もすうと耳を澄ますと、どこかしら悲しげな声が聞こえる――気がする。
 救われず、彷徨う怨霊達の声――
 私はその声を聞き、鎮めることは出来ても、真の意味で彼らを救うことは出来ない。それがとても悲しい。
 私にもう少し力があったなら――
 悩まずに済んだのだろうか。救うことが出来ただろうか。あの人を――失わずに済んだのだろうか。

「……駄目ね……」
 一度俯くとどうしても思考がそこに舞い戻ってしまう。もう思い出さないと――心を凍らせると決めたのに。
 ふわり欠片でも心が溶けると、そこから様々なものがあふれ出してきてしまう。
 風に溶ける甘い匂いも、さらさら揺れる花弁ひとつも、全てが記憶を刺激して。
 わかっているけれど、私は先へ進めない。
 心を凍らせるしか、ない。

「――朔じゃねぇか。何やってるんだ?」

 呼ばれて振り返ると、そこには望美の幼馴染だという青年が立っていた。

「将臣殿」
「重そうだな」
 言って私の手から荷を取っていく。
「一人か?望美たちとは一緒じゃねぇのか」
「ええ……そういえば、朝餉の時に顔を合わせただけで、今日はそれきり見かけてないわ」
 そういえば、望美も今日はどこか違っていた。
 具体的に何が違う、と問われれば答えようのないものなのだけれど。
 どこか楽しそうな雰囲気だったのを覚えている。
 そしてそのままどこかに出かけたようだった。
「どこに行ったのかしら……」
「望美なら、さっきヒノエと……っと」
 何か言いかけて、将臣殿は言葉を切り、空いた手で髪を掻き揚げる。
「悪い、俺もわかんねぇわ」
「……そうなの?」
 何かをはぐらかそうとする態度は兄上のそれと良く似ていて、けれど追求させる気を起こさせない。
「ま、そろそろ帰ってきてるんじゃねぇの?」
「……そうかしら」
 あっさりとそう言われ、私もそれ以上考えることを止めた。
 考えたところで分かるはずもないのだから。
 思い当たる節などとんと見当がつかない。
 なのに今日は何故か皆が平素とは違う。
 私一人が平素と変わらないままで。

「何も出来なくて落ちつかねぇ、って顔してるな」
 心を読み透かしたかのように将臣殿が言った。
「別に、そんなわけでは……」
「でも何もしないでいることに焦ってる、だろ。何もしなくていいのかーってな」
「それは……」
 図星なのかもしれない。
 このままでいいのかとずっと心の裡で問うていた。
 今も京には怨霊が、助けを求め悲しい声をあげているというのに。
 私一人が平素と変わらぬ日常を送っていても良いのかと。
「なんつーか、龍神の神子ってのはみんなこうなのかね?良く似てるぜ、アンタも望美も」
「私と、望美が?」
 確かに私たちは対で、故に似たところもあるかもしれない。
 けれど私と望美は対だからこそ、全く違うのだと思っていたのだけれど。
「ああ。アイツも昔っからそうだったんだよ、じっとしてられないっつーか。何かやらずにはいられねぇんだな」
「…………」
「考え込むことはないんじゃねぇか?つーか、アンタが沈んだ顔してっと、望美も、アンタの兄貴も心配するんじゃねぇ?」

 そうかも知れない。
 私も望美が悩みや不安を抱えていたなら、心配になるに決まっているから。
 兄上が辛い何かを抱えていたなら、それを分かち合いたいと思うに決まっているから。
 恐れることなく前に進む少女に余計な不安は与えたくない。
 誰よりも大切な家族に心配はかけたくない。
 せめて私は対として、彼女を支えられる存在でありたいから。
 せめて私は兄上に、余計な気苦労をかけたくはないから。

「……やっぱり、将臣殿も譲殿が落ち込んでいたら心配するのかしら?」
「アイツは悩んでも結局自己解決してるみてーだから心配してねーよ」
 それより解決できないでぐるぐる悩んでるほうがよっぽどタチが悪いぜ、と将臣殿は苦笑して言った。

「とりあえず、あんまり沈んだ顔で帰るなよ。とりあえず今は、笑っとけ」



 今朝から皆の挙動がどことなくおかしい。
 それは具体的に何か、と問われると答えようのないものだったのだけれど。
 それが何か分かったとき、私はどう思うだろうか。



 邸は妙に静まり返っていた。
 あの後将臣殿は用があるからといって別れ、また少し市を見て廻った後帰路についたのだが。
 もうそろそろ望美たちも戻ってきていると思ったのだけれど……。
 邸の中は水を打ったように静かで、話し声も衣擦れの音すらも聞こえない。
 誰かがいるのは分かるけれど、さて何処に誰がいるかは見当がつかなかった。
「困ったわね……」
 今日は朝からおかしな事ばかりだ。

「兄上?望美?……本当にいないのかしら……」
 出掛けたときには廊下を塞いでいた衝立が取り払われている。
 皆がいるのであれば此処だろうか。でも相変わらず何の音もない。
 一体何処に行ったのかしらと、部屋を覗き込もうとした時だった。

「朔ーッ!!!!」
 声が、と思った瞬間、

 ぱぅんッ!!

 乾いた音とともに、目の前が極彩に染まった。

「…………え?」

「誕生日おめでとーッ!朔ーッ!」
「え?え?え?」
 目の前に飛び出してきたのは間違いなく私の対(望美)
 だが言っていることの意味が分からない。
 たんじょうび?

「望美ちゃんたちの世界では正月に年を数えるんじゃなくって生まれた日に数えるんだって。それで、その日は盛大にお祝いするんだそうだよ」
 面白いよね〜。兄上が笑う。
 手に握られているのは武器として使っているはずの銃。
 術を放つ銃口から放たれているのは色とりどりの紙吹雪。
 見れば部屋の中も色とりどりに飾られていて。

「大抵誕生日には皆で集まってケーキを食べて、プレゼント、というのが一般的ですね」
 何とか形になりましたよ、と微笑う譲殿の手にあるのは
「これが、ケーキ、だそうですよ」
 甘い焼き菓子のようです。譲殿の隣に弁慶殿。

「悪いな朔。望美がギリギリまで秘密にしとけって煩いもんだからさ」
「まあ、こういう趣向も……たまには悪くないんじゃないか」
 先刻別れた筈の将臣殿と、九郎殿。

「姫君たちの花の笑顔が見られるのなら、どんな趣向であろうと協力を惜しまないよ」
 望美の傍にはヒノエ殿。
 いないと思っていたはずなのに、気付けば全員が此処にいる。

「これ、誕生日プレゼント!ヒノエくんにも一緒に選んでもらったのっ」
 声を弾ませた望美から渡されたのは、小さな木箱。
「これは……?」
「ねっ、開けてみて!」
 促されるままに渡された箱の蓋を開けてみる。
 そこに入っていたのは……

「……これは……扇……?」
 ――箱に入っていたのは、瀟洒な作りの舞扇だった。
 決して華美ではないが良く見ると骨にも精緻な細工が施されている。かなり品の良いものだ。
 そっと手に取り開いてみると、扇面にも華美にならぬ程度の細やかさで美しい花の文様が描かれている。
 この花は、――
「朔、あんまり派手なのは使えないって言ってたから……なるべく派手じゃないものを選んだんだけど、どうかな?」
 使えそう?と尋ねる望美に、私は慌てて頭を振る。
「そんな、とても素晴らしいけれど、こんな高価そうなもの……私、受け取れないわ」
「そんなこと言わないで。受け取って欲しいの。朔に」
「受け取っちゃいなよ、朔」
 横から声をかけてきたのは兄上だった。
「こういうのは気持ちの問題なんだからさ。オレたち全員から、朔へのお祝いってこと」
「兄上まで」
 本当に良いのだろうか。
 こんな事、私には縁遠いと思っていたのに。
 孤独だと思ったことはない。けれど、こうして誰かが隣に、目の前に立って言祝ぐなんて事はきっともうないのだろうとばかり思っていたから。
 今、目の前には望美がいて、笑っている。
 皆がいる。

「……望美」
「なに?」
「……ありがとう……」
 こんなに嬉しい事はないわ。
 凍らせたはずの心が暖かく溶け出していく。
 溶け出した何かが溢れ出てくる。

 ねぇ、私、きちんと笑えているかしら?



 ずっと感じていた違和感。
 それが何か分かったとき、何にも変えがたい喜びに変わった。










END





つーことで朔誕生日記念っ!なんかとてつもなくギリギリな気がするのはきっと気のせい!(こら)
特にカプ決めして書いたわけじゃないけど、気付いたら将朔風味な気がするのはなぜだらう。
そして全然祝っていない…ような…気が…orzゴメンナサ…!!!


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