○存在の祝福○















 鞍馬の山は広く深い。
 深緑の闇に抱かれた道を、少年が一人、山寺に向かい走っている。
 少年は、遮那王と呼ばれていた。
 母と別れ、この鞍馬に預けられてから、数年が経っていた。
 未だ迎えに来るものも居らず、遮那王はずっと一人だった。
「駄目だ……間に合わないかもしれない」
 駆ける足を止めぬまま、呟く。
 鞍馬天狗と呼ばれる師に教わった俊足でも、遠いところまで来てしまっていたらしい。
 寺で定められた門限は刻々と迫っていたが、未だ寺は影形すら現していなかった。
 山寺の規則は厳しいものだ。門限を破った日には、庭にすら入れてもらえないかもしれない。
 寒くなり始めたこの時節、たった一人門の外に残されるのはいやだった。
 寒い、寒いなかで。
 たった、ひとりで。
 誰もいない場所で。
 誰も呼んでくれない、そんな場所で。
「……ッ!!間に合え……ッ!!」
 ぎり、と歯を食いしばって、地を蹴る足に力を込める。
 だが――
「う、わっ!!」
 力を入れすぎたかそれとも気を散らしてしまった所為なのか。
 下生えの草を包む柔らかい土に足を取られ、無様にも転倒してしまう。
 深い山独特の、湿った土で体中を汚しながらも立ち上がろうとして――
「……ッ痛ッ……」
 足を怪我してしまったことに気づいた。
 見れば、右足のふくらはぎのあたりだろうか、土の色に混じってうっすら赤い筋が流れている。
 一見さほど深くはなさそうだが、それでも引きつる痛みは確実に走る妨げになるだろう。
 たった一つ残されていた俊足という手段を奪われ、遮那王はその場に崩れるように座り込んだ。
 足についた傷口と、流れた血を乱暴に掌で拭えば、それでももう傷口をふさごうと、少しずつ血が固まり始めている。これならさほどひどい怪我ではあるまい。
 湿り気を帯びた土が冷たい。頬を撫でる風が冷たい。たった一つ、自身の吐く息だけが柔らかな熱を帯びていて、だがそれもすぐに外気に奪われ溶けていく。
 刹那の温もりに、やはり同じように冷たくなった手を温めてくれた優しい温もりを思い出した。
 まだ幼く、深い森の中を歩むこと覚束なかった頃だろうか。
 冷たく悴んで痛む小さな手のひらを、包んで温めてくれた大きな手の温もりを、遮那王は一度も忘れたことがない。

 ――ほら、こうすれば暖かいでしょう?
 ――でも、それでは母上の手が冷たくなってしまう。
 ――私は良いのです。あなたがいてくれるだけで、母は充分暖かいのですよ。

「……」
 まだまだ幼さの抜けきらぬ掌を握り締め、心に刻まれた言葉を反芻する。
 あの時は、ただただ嬉しかった。あなたがいてくれてよかったと、その言葉が心に響いて、ああ傍に居ても良いのだと、子供ながらに安心したものだ。
 けれど――次に脳裏に過ぎるのは、此処に来たときの記憶。
 何も言えずに見送る自分をたった一度振り返ったその表情。
 恐ろしく不安になった。
 けれど何も言えなかった。
 答えを聞くのが恐ろしかった。
 なぜ置いていくの――
 なぜ連れて行ってくれないの――
 もう、必要ないの――
 置いていった理由など、わかっているというのにそれでも不安は拭えない。
 本当に、居てもいいの――?
 答えなき自問自答に、さらに掌を強く握り締め――

 空が、輝いた。

 突然舞い降りた白の光に、遮那王は反射的に目をきつく閉じた。
 だが光は幻かと思うほど一瞬で、だが瞼の裏に焼け付く残像がそれは幻ではないと告げていて。
 そっと、目を開ける。
 突き抜けるような光はもうない。
 その代わりに。
 人が――いた。
 女性だった。
 自分と違いどこまでも真っ直ぐな長い髪、裾の短い風変わりな装束を身に付け、腰には刀を帯びて、呆然とした表情を浮かべていた。
 ――刀。
 瞬間身体が硬直する。
 それは、武士の帯びるもの。ではこの女性は、間違いなく『戦う者』なのだ。
 逃げなくてはならない。けれど、身体は何故か言うことを聞いてくれなかった。
(……動けッ……!!)
 ぐ、と四肢に力を込める。それでも平素の動きは取り戻せず、がさりと周りの草を鳴らしただけだ。
 ゆっくりと、女性がこちらを向いた。
 およそ戦場に出るとは思えない、綺麗な女性だった。
 唇が動く。
「あ、えっと……驚かせちゃった、かな?」
 随分と緊張感のない口調だ。それでも警戒は解かない。何しろ相手は帯刀している。だがこちらは丸腰なのだ。
「ごめんね、きっと驚かせちゃったよね……あっ、心配しないで、ちょっと道……?に、かな?迷っちゃっただけなの」
「道……?」
「そう、だからここがどこか教えてくれたら嬉しいなって」
 害はない、というふうにひらひらと両手を振る女性に、遮那王も少しだけ警戒を解く。
 もっとも、道に迷ったにしてはおかしな現れ方だったが……
「ここは……鞍馬の山中だ。お前は……旅人か何かなのか?本当に、道に迷っただけなのか?」
 年上の、しかも女性にきくには随分ぞんざいな口調だったが、その女性は気にした様子でもないようだった。
「うん、ちょっと……会いたい人が、いたんだ。そしたらいつの間にか、こんなところにきちゃって…そっか、ここは、鞍馬の山の中なんだね……じゃあ、もしかして、あなたは……」
 一人呟く女性の口調は、どこか寂しげでどこか嬉しそうで、自分を知っているかのような言葉に、遮那王は思わず首をかしげた。
「?俺のこと……知ってるのか?」
 その言葉に、女性ははっとしたような表情を浮かべ、次いで慌てて首を振った。
「う、ううん……ごめんね、きっと人違い、勘違いだよ」
 その様子は勘違いというにはおかしな所が多すぎたが、敢えて追求する理由も言葉も持ち合わせていなかった遮那王は結局口を噤んだ。
 冷たい風が、二人の間を薙いでいく。
 身を切るような冷たさに、再び両手をすり合わせようとして――
「……っ!怪我、してるの……?」
 心配げな声が降りかかってきた。
 顔を上げれば、女性の視線はこちらの掌に寄せられていて。
 そこでようやく、先ほど拭った血が手に付いているということに気づいた。もともと土泥まみれだったから、さほど気にしていなかったのだ。
「いや、これは――」
「大丈夫?痛い?私、傷薬とか持ってないから――」
 自身の手に、細身の白い手が重ねられる。
 繊細だが、決してか弱いわけではない女性の掌は、不思議に暖かかった。
「冷たいね……」
 伏せられる瞳が誰かに似ていて。
 寂しさと、恥ずかしさと、よくわからない感情がない交ぜになっていく。
「っ、離せっ」
「嫌。手を離したら、……冷たいでしょう?こうすれば、あったかいよ」
「……っ……」
 言葉にできない感情が渦巻いて、結局言葉を詰まらせて何も言えなくなってしまう。
 態度と裏腹に、その手をずっと掴んでいたいと思う自分がいたから。
「……こんなことしたら、そっちの手が冷える……」
「私は大丈夫。……一緒に居てくれたら、それで充分、あったかいから」
 泣いて。
 泣いてしまいそうに、なった。
 どうしてそんなことを、この人は言ってくれるんだろう。
「……そんなこと……!!」
 そんなこと、あるはずない。
 だってならどうして、自分はここにいる?
 何故たった一人、鞍馬の山に残されている?
 心の叫びを聞き取ったかのように、女性はゆっくりと頭を振った。
「そんなことないよ。今、ここにあなたがいなかったら、きっと私は立ち止まったまま進めなかった。今のあなたがいて、あの時のあなたがいたから、私はここまで来れたんだよ。あなたがいてくれて良かった。――あなたに会えて、本当に、嬉しかった」
 ふわりと、柔らかな微笑を浮かべて。
 なんて嬉しい言葉を、言ってくれるんだろう。
 自分はここに居ていいんだ。
 必要とされなかったわけじゃないんだ。
 必要とされたからこそ、ここにいるんだ。
 それだけのことが、ただどうしようもなく嬉しくて。
「あっ……あり、がとう……」
 朴訥に紡がれた礼の言葉に、女性は華やかに微笑んだ。
 ――ああ、こんなことでも、暖かくなるものなのか。
 繋がれた手も、もう冷たくはなくなって。
 吹き抜ける風も、冷たいだけではなくなっていて。
 暖かく包まれる感覚に、委ねるようにゆっくり瞼を閉じて――
 
 がさっ――

 音を立てた草叢に、遮那王は瞬間的に意識をそちらへ転じた。
「誰っ――」
 女性も先程とは打って変わった緊張の面持ちで、揺れた草叢を睨みつける。
 気のせいか。いや今度は本当に、害意ある存在かもしれない。そう思うと気は抜けなかった。
 気配はない。それでも動く空気が、誰かがいることを伝えてくる。
 二、三、また茂みが揺れた。
 そこから、現れたのは――
「……先生っ!」
 長身に闇色の衣、そして人目を惹きつける金の髪。鞍馬天狗と恐れられ、そして自分の剣の師でもある存在。――リズヴァーンと、呼ばれる鬼が、そこにいた。
 だが、彼の瞳は遮那王を捕らえてはいなかった。
 彼が見ていたのは――
「……何故、こんなところにいる……」
 彼が見ていたのは、遮那王とともにいた、女性だった。
 女性もまた、驚いたようにリズヴァーンを凝視している。
「せん、せ……」
 リズヴァーンが、感情の読めぬ瞳をわずかに眇めた。
「お前はここにいるべきではない。神子、元いた場所へ帰りなさい」
「えッ……?」
 その刹那。
 光が疾った。
 ほんの一時前に見た光と同じ輝きが、瞳を射抜き――

 再び目を開いたときには、女性の姿はなかった。
 現実だ、と思うには、それはあまりにも朧げで、幻だと言い聞かせるには、手に残った温もりがあまりにも暖かすぎて。
 ただ一人、全てに信を置く自らの師に、遮那王は問うた。
「先生。今の……人は……」
「今のことは、忘れなさい」
 だが、その答えは簡潔で、聞きたい内容ではなかった。さらに問いを重ねる。
「でも、先生……」
「今のことは忘れなさい。ただ、お前には守らなくてはならない存在がいる。そのことだけは覚えておきなさい」
「守らなくては、ならない存在……」
 遮那王はそれ以上問いを重ねることをやめた。
 忘れろというからには、きっと知ってはいけない事なのだ。
 だがそれでも、守らなくてはならない存在が、あの人のようならいいと、心のどこかで、そう、思った。

 自分を必要としてくれた、存在を祝福してくれた、あの人のようならいい。
 そう、思った。










END





ああああ長い…!!しかも誕生日とか言っといて全然誕生日関係なくないか!?全然祝ってなくないか!?(笑)
最初のコンセプトとしてはこう、生まれてきてくれたことをありがとーみたいな、だってこの時期って「遙か3」世界じゃ一番緊迫した時期で誕生日祝うどころじゃないでしょう!!じゃあ現代EDか!?と思えばそれはそれでつまらんなー(ネタ浮かばんなー)と思ってしまって… そ の け っ か が こ れ で す か orz
取り敢えず言い訳はしないことにします見苦しいから…へふぅ。
あ、あ、アタシあんまり歴史に明るくないんでアレですが、この頃の呼び名は「遮那王」でいいんですよね…よね?(再度確認)
なにがともあれ、九郎さんに、誕生日おめでとうございまーす!!


BACK






SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送