貴方は、海を往く魚の様に。















○海を往く魚の様に○















「……余計な荷は捨てていい!邪魔になるものは置いていって構わん!」
 日も沈んで久しいというのに、其処には幾つもの篝火が煌々と辺りを照らし、まるで昼間のような明るさを見せている。
 パチパチと爆ぜる炎に照らされ、九郎は額にじんわりと汗を浮かべながら、兵に次々と指示を出していた。
 誰もが戦に疲れを隠せずにいる中、九郎はそんなものをまるで感じていないように、機敏に動き回る。
 ――そんな彼に、不意に後ろから声がかかった。
「九郎」
「なんだ?――……弁慶か。どうした」
「もう周りは粗方片付いたようですし、九郎も少し休んだらどうですか?」
「いや、まだ細かい指示が残っている。それに皆が動いているというのに俺だけ休むわけにもいかないだろう」
 話はそれだけか、と言わんばかりに九郎は会話を打ち切ると、また兵達に向き直り指示を出し始める。
「……まったく」
 随分と強情を張る……
 弁慶はため息を一つついて、少しだけ思案を巡らせる。
「――そうですね。……九郎、今度の戦こそ勝利を収めることが出来ましたが、気は抜けませんよ。……これからのことで少し、話があります」
「話?」
 一度は背を向けた九郎が再び振り向く。
「ええ。――来て下さい」
 そう言って踵を返す弁慶の後ろを、九郎は何も言わずについて来る。
 やがて二人は陣幕で区切られた一角へとたどり着いた。
「そこに座って。――長くなるかもしれませんから」
 言われたとおり九郎が腰を下ろす。
「それで、何だ、今後の話とは」
「それは――」
 言葉を発すると同時、弁慶は九郎の左腕を強く掴んだ。
「――っ……!!」
 九郎が苦しげに顔を顰めた。
 ただ腕を掴まれただけにしては大袈裟な反応をする九郎に、弁慶は表情を険しくする。
「貴方の事ですよ、九郎」
 見れば、掴んだ左腕からじわりと赤いものが滲んでいた。
「隠し通せると思っていたんですか?他の兵の幾人かも気付いていましたよ」
 少々荒い手つきで着物の袖を捲れば、肘から手首の辺りにかけて一条の傷が走っていた。
 矢が掠ったのだろう。
 弁慶は幾つかの薬を取り出すと傷の治療を始めた。
「これは放っておいて良い傷ではありませんよ。何故すぐ言わなかったんです」
「すまない……だが、仮にも俺は源氏の将だ、将が怪我を負ったとなればそれは軍全体の士気に関わる」
 消毒し、薬を塗り手早く包帯を巻いて治療を終える。
 傷に沁みるのか九郎が僅かに顔をしかめたが、治療している弁慶は九郎以上に渋い顔をしていた。
「そうやって無理をして倒れられでもしたら、それこそ全軍の士気に関わります。もっと考えてください」
「……ああ」
「お願いですから、あまり無理をしないで下さい」
「……すまない」
「謝る必要はないんですよ」
 ただもう少し、自分自身を労わってくれるなら、と弁慶は心の中で付け加える。
 少し目を離しただけで、この青年は自分自身を苛め抜くかのように無理をする。
「さあ、九郎は少し休んでいてください。後は、僕が引き受けますから」
「……ああ、頼む……」
 それだけ呟くと、九郎はまるで糸が切れた人形のようにくたりと身を折り、眠りに就いた。
 表情にこそ出さずにいたが、よほど疲れていたに違いない。
 弁慶はゆっくりと手を伸ばし、規則正しい呼吸を繰り返す九郎の額にそっと触れる。
 じんわりと浮かんだ汗が、彼の働きぶりを証明していた。
「……全く、こんなになるまで無理をして……」
 決して弱音など吐かぬ彼だけに、余計にこちらの不安は募る。
 気丈に振る舞い、刀を取り指揮を取り前線に立っているが、本当はいつだって不安で、辛かろうに。
 彼がどんなに『鎌倉殿』の為に身を粉にしていても、その兄からの労いはない。
 寧ろ鎌倉殿は、日に日に信頼という力をつけていく不穏分子を排除する機会を虎視眈々と狙っているに違いない。
 九郎はそれに気づいていない。……いや、どんなに妄信的に兄を信頼する彼でも、もう気づいているだろう。
 だが、心が、理性が、それを認めようとはしないのだ。
 だからこそ、無理をする。
 自分を苛め抜くことで、兄への信頼を示そうとしている。
 届かぬ思いを届けようと。
 ただひたすら先に進むこと――鎌倉殿の命に従い、平家を倒すこと、それだけが今の彼の全てなのだ。
「貴方という人は――」
 本当に不器用な人だ。
 ただ真っ直ぐ進むことしか知らぬ。
 眠ることすら忘れて。
 休むことなく。
 でも、人である限り、それでは保たない、――壊れてしまう。
 弁慶は暫く切なげな表情で九郎を見つめ、そして彼の耳元にそっと唇を寄せる。
 彼が目覚めてしまわぬよう、小さな小さな声でそっと囁いた。
「おやすみなさい、九郎」


 ――貴方は、海を往く魚の様に、
 眠ることも休むことも厭い、唯只管に泳ぎ続ける。
 けれど、時にはその身体を預け、休んでください。
 ――せめて、僕の前だけでも。









END





マグロって泳ぐのやめると死んじゃうらしいですね(マグロ扱いかよ)。
この話には一応モチーフというか元になった歌があったりして、それが緋月さんのポップン熱が妙なところにまで来ていることの証でもあったり(自爆)
とゆーより、弁慶なら無理している九郎を薬を盛ってでも休ませるんじゃねーだろーか、とか考えたらこの話は成立しない(笑)


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