窓から見上げる月は鬼魅が悪いほどに丸かった。
細く小さく息をつき、バーナビーは薄気味の悪い月から目を逸らすように窓辺から離れた。
備え付けられた時計は午前二時を示している。そろそろ眠らなくては、そう思うのに寝付けない。目が冴えてしまって、とてもじゃないが眠れるような気がしなかった。
このままでは明日に差し支える。明日が平穏な一日であれば良いが、あいにくとこの街は彼の願いを叶えてはくれない。例え何事もなかったとしても、デスクワークに支障をきたすのは必至だ。
仕事――その言葉に、数時間前の出来事が脳裏によみがえる。
今日の要請は連続放火魔の拘束だった。
昨日だけで十五件、今日一日で七件。八件目の放火の前に拘束した。昨日は悪戯程度の小火ばかりだったがとうとう家屋に手を出したのだ。犯人はNEXTだった。火に魅せられ、何かを燃やすことに固執した男。ネイサンが同じ炎使いとして大いに嘆いていた。
男が作り出した炎に朽ちかけた建物が呑まれていく光景に、過去の映像が重なった。
部屋を舐める炎。倒れた両親。何かが焦げた臭い。熱い。熱い。笑う男。タトゥー。熱い。熱い。炎――
「……ッ」
まただ。あの光景がフラッシュバックしてきてバーナビーは唇を噛む。燃え盛る炎や両親の姿は鮮明に思い出せるのに、男の顔だけが思い出せない。
「……くそ」
小さく呟いて寝台を離れる。まだ窓から月がこちらを監視している気がする。もう今日は眠ることを諦めたほうがよさそうだ。
何もない部屋にぽつんと設えられているチェアに腰掛けると、不意にどんどんっ、という無粋な音が玄関から響いた。
「――」
バーナビーは小さく眉をひそめる。おおよそ生活感が感じられないほどモノに乏しい部屋ではあるが、それでもインターフォンぐらいは備え付けられている。だがそれを使わないのは――
そんな無粋な人間は、バーナビーはひとりしか知らない。
どんどんどん、とまた扉を叩く音。
ひとつ大きくため息をついてチェアから立ち上がる。そのまま真っ直ぐ入り口へ向かうと、扉を叩いているのが誰なのか確認もせずに大きく開け放った。
途端飛んできた拳をひょいと捕まえる。攻撃してきたわけではなく、扉を叩いていた腕がそのままバーナビーにぶつかりそうになっただけのようだが。
そこにいた予想通りの人物に、バーナビーはもう一度大きくため息をついた。
「近所迷惑ですよ、おじさん」
「ンだよ〜……いるならさっさと出てこいっての」
口を尖らせたのは虎徹――バーナビーのパートナーだ。
手首を掴まれたまま振りほどこうともしない彼の目はとろんとしている。頬もうっすらと上気して赤く染まっていた。
トレーニング・ルームでアントニオとともに去るのを見たが、要するに呑んで来たのだろう。
「ったく、今まで呑んでたんですか? 今何時だと思ってるんです」
「呑んでませんー」
「酒臭っ……」
「でも頭がぐらぐらしてンだよォ〜……、バニーちゃん、休ませてぇ〜」
「バニーじゃないバーナビーで……ってちょっと、おじさん勝手に」
虎徹はするするとバーナビーの横を通って勝手に中に上がりこんでしまう。仕方がない、とバーナビーは扉を閉めると、その足でキッチンへと向かった。
「バニーちゃん聞いてくれよぉ〜、アニエスの奴まぁ〜た取材だとか言って意味わかんねぇビデオ撮ってたんだぜ? しかも『アンタはおまけだからこっちから言われたことを言ってりゃいい』とか何とか言ってよぉ、意味わかんねえだろ、なぁ?」
グラスを取り出して冷たい水を注ぎながら、リビングの方から聞こえてくる声に適当な相槌を返す。
「あの方は十分有能ですよ、どうすればヒーローたちを効率よくテレビに映すことができるかちゃんと考えていらっしゃるじゃないですか」
「そンなの人気な奴らだけじゃねえか、なあ? 『ハイ、ソノ通リデシュネー』ほ〜らこっちのバニーちゃんもそう言ってるぞ〜」
「……何やってるんですかおじさん」
バーナビーが呆れた声を出す。
「バニーちゃんごっこ」
へらり、と虎徹が笑う。彼はベッドに腰掛けて子供のように足をぶらぶらさせていた。その手には部屋に不釣合いな胴長のウサギのぬいぐるみ。誕生日プレゼントにともらったものだ。
とりあえず汲んできた水を渡して、隣に腰掛ける。虎徹は渡された水を一気に煽ると如何にも旨い酒を呑んだと言わんばかりに「ぷはー!」と大きく息をついた。まるで中年だ。
「落ち着いたら帰って下さいよ」
「やだ」
「子供じゃないんですから」
「あ〜、もーダメだ。ぐらぐらする。動けねぇ」
ばたん、とベッドに倒れこんだ虎徹を見下ろす。だらしなく緩めたネクタイ、開いた襟から覗く上気したままの肌が月明かりに照らされているのが妙に艶かしい。
じっと見られていることに気付いたのか、虎徹は相変わらずとろんとした目でバーナビーを見つめ返すと、再びベッドから身を起こす。
バーナビーを見つめる視線はそのままで、不意にすっと手が伸ばされた。男らしい、無骨な手。
その手がぐしゃぐしゃと頭を撫でるのを、バーナビーは抵抗もせずに受け入れる。
ただ一言だけ小さく「……何してるんですか」と訊くと、「可愛いなあと思って」という答えが返ってきた。
「……酔って動けないなんて、嘘でしょう」
ぽつり、と呟く。
「ウソじやねえよ」
優しい応えが返る。
それも嘘だと、バーナビーはとうに気付いていた。
彼が酔って動けなくなるなんてことはあるはずがないのだ。
曲がりなりにも彼はヒーローで、人を救うことに並外れた使命感を抱いていて、どんなときでもそれを忘れることなどなくて。
今だってコールがあれぱ、きっと眠そうな目を見開いて俊敏な動作で飛び出していくのだろう。
そして自分に向かってこう言うのだ。「行くぞ、相棒(バディ)」と。
なのに、彼はこんなことを言う。
「も、酔って酔って酔っちゃってぐらんぐらんのべろんべろん」
へらり、と笑みを浮かべる虎徹にバーナビーは珍しく悪戯めいた笑みを返した。
「あんまり煽ると、襲いますよ?」
「できるモンならやってみろってんだ」
がお、と虎徹が威嚇のポーズを取る。「では」と、バーナビーは爪を向けられた手を軽くひねり上げてそのまま、噛み付くように口接けた。
「んッ……」
僅かに残ったウイスキーの匂いが舌に絡みつく。呼気に混じるアルコールが喉に灼けそうに熱い。それでもバーナビーは貪るように唇を舐る。
わかっていた。彼が自分を気遣ってこんな夜更けに訪ねてきたのだということを。
彼はきっと気付いているのだろう。自分がが炎を嫌悪していることも、それを見るたびにどこか不安定になることも、そのたび苛む記憶に眠れなくなってしまうことも。
そして、無意識に誰か伸ばしてくれる手を探してしまっているということも。
だから虎徹は手を伸ばす。ソリが合わない、可愛げがないと文句をつけながら、それでもパートナーの手を離すまいと。
それはバーナビーにとって、得がたく離しがたい――大切な。
する、と拘束していた手を解く。ひねり上げるといっても緩く掴んでいただけなのだから振り払えばすぐに逃げ出せただろうに、それをしなかったのは了承と取っても良いだろうと勝手に解釈して、そのまま後ろへ押し倒す。
虎徹の顔に苦笑が浮かんだ。
「……おいおい」
「帰れないんでしょう」
「……さっきは嘘だって訊いたクセにな」
「忘れました」
しれっとそう答えて、再びその唇を貪る。
ちらりと見上げた月は流雲に隠れてすでに見えなくなっていた。
7話とか8話位あたりだと思う。地味に気に入ってる
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