あの人の事、どうして今まで気付かずにいたんだろう。
 何も言えなかった。何も伝えられなかった。
 自分が支えになってもらったのに、あなたを支えることが出来なかった。
 ただ後悔だけが胸の中を埋め尽くす――こんなことしか、出来ない自分に。





 スカイハイこと――キースが意気揚々とトレーニングセンターを後にする。
 その後ろ姿に女性陣(?)三人がきゅっと寄り集まってきゃいきゃいと嬌声を上げていた。
「もしかして!?」
「例の彼女と!?」
 いつになく盛り上がっている三人を不思議に思い、イワンはつと三人に声を掛ける。
「――どうかしたんですか?」
「どうしたもこうしたもッ!」
「スカイハイに、恋人が出来たかもしれないのよッ!!」
「……はい?」
 言葉の意味が理解できずに、首を傾げる。
 それを惚けていると受け取ったか、カリーナが「もうっ!」とじれったそうに付け加えた。
「だからっ、恋人よ、恋人ッ!! スカイハイに恋人が出来たかも知れないっての!」
「……」

 恋人。
 あのスカイハイさんに。
 恋人。

 数拍の沈黙の後。

「…………えええええええええええええッッッ!!?」
 イワンは腹の底から絶叫を上げた。
 恋人。
 恋人!?
「ちょっ……ちょっと! 声大きいッ!」
「あっ……ご、ごめん」
 パオリンに苦言を呈され、イワンは慌てて声のトーンを下げる。
「こ、恋人って、スカイハイさんに、恋人、ですか」
「そーよ。恋人って言うか……まだ告白してないぽいけど」
 だから想い人よね。とうんうん頷くカリーナはどこか楽しそうだ。流石に女子高生、恋バナには興味津々である。

「きっとこれから告白しに行くのねェ」
「こ、告白! 告白って、告白ですか!?」
「そーよ愛の告白よォ」
 思考が大混乱して意味を成さない質問をぶん投げるイワンにネイサンが律儀に答えてくれる。
「彼女のおかげで立ち直れたみたいだし、これからはあの子がリードしていく番よねェ」
「えーちょっとあのスカイハイが女性をリードって! すっごく見たい」
「見たい見たい!」
「ちょっとアンタたち野暮なコトはよしなさいよ」
 やんやと囃し立てる女性陣の会話に、イワンはふとあることに気付き、ついついとネイサンの服の裾を引いた。
「あの……立ち直れたって、どういうことですか」
「え? ああ、スカイハイのこと?」
 こくんと頷くと、ネイサンは「そうねぇ、アナタは気付かなかった? スカイハイがずっと不調だったの」と問い返してくる。
「不調……って、最近ずっとポイントが取れてないとか、そういう……?」
「うーん、それもあるけど……ってことは、アナタ気付いてなかったのね」
 ネイサンは小さく肩をすくめ、自身が知っていることをイワンに話し始めた。





 その夜。
 イワンは自室で一人、はぁ……と大きなため息をついていた。
 今日は色々とショックな事実を知りすぎて、なかなか寝付けそうにない。
 ごろん、と寝返りを打ちながら、イワンはその『ショックな』事実を反芻する。

(スカイハイさんに……想い人)

 それを考えるだけで胸の奥が痛む。

 ――別に、好きな人ぐらい、いたっていいじゃないか。
 彼とてヒーローである前に人間だ。想い人の一人ぐらいいたって何もおかしくない。でも何故かその事実が現実だと思うとしくしく胸が痛むのだ。
 キングオブヒーロー――こと、風の魔術師・スカイハイ。自分の憧れる、ヒーローの中のヒーロー。純粋で、真っ直ぐで、揺ぎ無い信念を持つ、憧れの人。
 その人が恋――なんて、想像も出来なかった。
 けれど――それ以上に、ショックだったのは。
(――スカイハイさんが、そこまで悩んでいたなんて)
 ネイサンから知らされた事実。彼が――ヒーローとして、少なからず悩んでいたということ。
 そんなこと、話を聞くまで気付かなかった。
 彼はいつだって真っ直ぐで、揺ぎ無くて――ランキングなんて関係なくて、いつだって理想のヒーローだと、そう信じていたから。
 勿論当人に聞いたわけではないから、本当は違うのかもしれない。ランキングなんて関係なくて、実際はもっと別のことに悩んでいたのかもしれない。もしかしたらずっと彼の心をくすぶらせていたのは、煮え切らない恋心だったのかもしれない。
 だけど、彼は悩んでいたのだ。それは間違いのない、事実。

 ――ああ。
 また、だ。そう思った。
 また僕は『大切』な人に何もすることができなかった。
 エドワードの時もそう。助けてくれという声に、でも足がすくんで動かなかった。あんなに必死に手を伸ばしていたのに。
 信じてくれていたのに、応えられなくて。
 今だってそう。スカイハイさんが悩んでいるなんてことにまるで気付かなくて。自分のことで、精一杯になっていて。
 何も――することができなかった。今まで沢山助けてもらっていたのに、自分は何も助けることができなかった。
 自分の力ではどうにもならないかもしれない。何の役にも立てないかもしれない。
 それでも、何もしないままだった自分が。何も気付くことができなかった自分が、どうしようもなく許せなかった。
 大切な人のことなのに、何も――
(――何も、僕は出来ないのかな……)
 少しずつ――変わっていこうと、思っているのに。
 相変わらず何もできないままの自分が、歯がゆかった。





 ――イワンがキースの想い人についての話を聞いてから、十日。
 その日もいそいそとトレーニングセンターを後にしようとするキースの背中に声を掛けたのはネイサンだった。
「あらん、また例の彼女のところ?」
「ああ、今日こそは会えるかと思ってね」
「……でもこの間からずっと、会えないんでしょう?」
「約束をしているわけではないからね……だがきっと会えるさ。私はそう信じているんだ」
 言って、そそくさとトレーニングセンターを出て行くキースを見守るネイサンの隣にカリーナとパオリンが並ぶ。三人とも、先日とはうって変わってどこか不穏な表情だ。

「……ねえ……もう、十日よね」
「ええ、そうね。あれからもう十日経つわね」
「どう思う?」
「やっぱり……私は、もう駄目なんじゃないかなって思う」
「そうねェ……」
 三人の会話はどこか暗い。気になってしまい、イワンはこっそり三人に近づいた。

「あの……何が、ダメなんですか?」
「彼女の話よ。例の、スカイハイの想い人」
 カリーナの言葉にイワンの胸の奥が小さくちくりと痛む。
 だがそれを努めて押し隠して、イワンは首を傾げた。
「スカイハイが彼女に会いに行くって言ってからもう十日経つけど……でも、あれからぷっつり会えなくなっちゃったらしいの」
「え……?」
「いつも同じ時間に同じ噴水前のベンチにいたから、きっと会えるだろうって言ってたんだけど」
「でも、もう十日も姿を見てないって言うのよ」
 それなのに毎日、花束持って会いに行ってるんですって、とネイサンが小さく息をついた。

「十日も……」
 思わず、キースが去っていった方向を見やる。
 毎日心躍る表情でトレーニングセンターを後にしていたキース。だから、会えたのだとばかり思っていた。その女性と上手くいっているのだと。
 また、胸の奥がしくしく痛む。目を伏せるイワンをよそに、パオリンが「でもさ」と声を上げた。
「二、三日ならともかく、十日だよ? それまで毎日居たらしいのにさ」
「もしかしたら……もう、会えないかもしれないわよね……」
「そうよねぇ……もしかしたら、逃げられちゃったのかも知れないわねェ」
「逃げられた? スカイハイが? 何で?」
「何かソレは考えにくい気がするけど。だってほら……タイガーならともかく、あのスカイハイが女性に何か粗相するとは思えないし」
 カリーナがぼやく。本人がいないことをいいことに酷い言い草である。
「なんか理由があったのかもよ? 引っ越しちゃったとか」
「もしくはその子、彼がスカイハイだって気付いてたのかも?」
「ええッ!?」
「何で!?」
 カリーナとパオリンが揃って驚いた声を上げる。その声が予想外に大きくてイワンは思わず軽く身を引いた。
「ホラ、会えなくなったのってスカイハイが復調してからじゃない? だから、実は最初から気付いていて、何か言うために偶然を装って近づいたとか……」
「流石にそれはちょっと発想が飛躍しすぎてる気もするけど……」
「でもさ、ずっと会えないでいるってことは、理由が何であれこれからも会えない可能性の方が高いよね」
「そうね。もう……諦めたほうがいいかもしれないわね」
「でも……スカイハイはまだ会えるって、信じてるんでしょう? だからああやって、毎日出かけて」
「何かさ、それも辛いよね……」
「何とかその彼女のこと、振り切れればいいんだけどね……」

 いつの間にか三人の思考は『どうやってスカイハイに彼女のことを諦めさせるか』に変わっている。だがキース本人が彼女に会えると信じてしまっている以上、諦めさせるのは恐らく至難だろうと三人はそれぞれため息をついた。
 ――その時。
「――あ、あのっ」
 声を上げたのは――他ならぬ、イワンだった。





 それから。
 イワンは公園へと向かう道をぽつんと一人歩きながら、はぁ、と小さくため息をついていた。
 これはスカイハイさんのためなんだ、という思いと、どうしてあんなこと言っちゃったんだろう、という思いが交錯して彼の足取りを鈍くしている。

 女性陣(?)三人の議論に、思い切って話を切り出したのはイワン本人だった。
「彼に……スカイハイさんに、伝えたほうがいいんじゃないでしょうか。もう、会えないと思うって」
 突然のイワンの提案に三人は驚いたように顔を見合わせ――そして「誰が伝えるのよ、そんなこと」と当然の疑問を返してきた。
 それに「僕が」と答えたのだ。

「僕が伝えます。皆さんは……相談に乗っていた手前、伝えにくいと思いますから」
 イワンのその提案に、女性陣は再び顔を見合わせ、そして神妙に頷いた。
「アンタが、そう言うなら……」

 そして三人に送り出され、今イワンはキースの後を追っている。
 先ほどまでのことを思い出していて、いつの間にか自分の足が止まっていたことに気付いた。
 いけない、と慌てて早足で歩き出す。だがすぐにまた鈍い足取りへと変わった。
 見上げた空は快晴で、夕暮れの朱に淡いグラデーションを映している。晴れやかな景色にだがイワンの心は曇天のままだ。
 あの後、追いかけようとしたところでカリーナに「なんか、ゴメン」と小さな声で謝られたことを思い出す。
(気にすること、ないのに)

 これは、自分がするべきことなのだ。
 このままキースを放っておけば、彼はいつまでもその女性の影を追い続けるのだろう。
 女性の方にどんな理由があって、顔を出さないのかはわからない。わからないけれど、十日もぷつりと消息を絶ち、顔を見せるどころか手紙も音沙汰も何もないということは、もう二度とキースの前に姿を現す気はないと取った方がいい。
 もう会えない可能性の方が高いなら、きっぱりと諦めをつけるべきだ。
 そして、それができるのは――視野狭窄に陥っているキースにそれを伝えられるのは、自分たちしかいない。
 だからイワンは敢えてそれを提言した。そして敢えて、汚れ役を買って出たのだ。
 キースに、前に進んでもらうために。

(スカイハイさんに、僕は何も出来なかったから……だから、せめて)
 例え、嫌われてしまったとしても。
(嫌われたと……しても)
 胸の奥がしくしくと痛む。

 まさかこんなことで嫌われることは流石にないだろう。あのキースに限って言えば尚更だ。
 だが心証は決して良くないに決まっている。自分の想い人を、真っ向から否定されるのだから。
 その時、キースは一体どんな顔をするだろう。哀しい目で自分を見るのだろうか。
 それを想像しただけでぎゅっと心臓が握られるような苦しさがイワンを襲う。
(……ダメだ、僕はまだ、何も言ってないんだから)
 もう、何も出来ないのは二度とゴメンだ。そう誓ったじゃないか。

 どうにか自分を奮い立たせ、夕日に染まる公園へと足を踏み入れる。もうすぐ夕闇が訪れる時間なだけあって、昼間は賑わう広場も今はまばらな人影しかない。
 ――いた。
 広場中央の大きな噴水の前、等間隔に備え付けられたベンチ――そのひとつに見覚えのある人影があった。
 夕日を受けてきらきらと光る金の髪、遠目に見ても強い意思が見て取れる真っ直ぐな瞳。座っていてもぴしりと背筋を伸ばした姿。その腕に大きな花束を抱えている。きっとこの公園を訪れる際に購入したのだろう。

 知らず、ごくりと唾を飲み込む。
 イワンはひとつ大きく深呼吸をすると、ゆっくりと噴水の前へと足を進めた。
 ゆっくり、ゆっくりと、一歩ずつ。キースがこちらに気付いて顔を上げた。もう後戻りは出来ない。

 キースのすぐ傍まで来て、足を止める。すぅ、と息を吐いて呼吸を整えてから、イワンはゆっくり口を開いた。
「――スカイハイ、さん」
 小さな――彼にしか聞こえない声で、名を呼ぶ。キースは微笑んで「やぁ」と返してきた。
「ここで、何をしているんですか」
「私かい? ここで人を待っているんだ。恥ずかしながら、女性なんだが」
 照れた様子のその姿に、疑念は微塵も感じられない。
 イワンは硬い声のまま、更に質問を重ねる。
「ずっと、待っているんですか」
「ああ。ここ最近会えないままなんだが――今日は、会える気がして」
「そんなに――」
「うん?」
「そんなに、素敵な人、なんですか」
(って、何を聞いているんだ、僕は!)
 内心の、冷静で臆病なイワンが自分自身を叱咤する。そんなこと聞いてどうする。
 だがキースはそんなイワンに屈託ない笑みを浮かべて「ああ、素敵な人だよ」と返した。
 がつん、と何かに撃たれたような衝撃。
「赤が似合う、とても清楚な人なんだ。言葉は少ないけれど、真摯に私の話を聞いてくれる……素敵な人さ」
 がん、がん、と二重、三重の衝撃。まるでドラゴンキッドの雷を食らったような気分。
 キースが浮かべた優しげな笑顔が、更にイワンの胸の奥をギリギリと締め付ける。
(こ、このままじゃダメだ、ダメなんだ)
 何のためにここまで来たというのだ。キースに、この恋を諦めさせるためではないのか。
 彼に前に進んでもらうために、わざわざ汚れ役を買って出たんじゃないのか。
 イワンは不審に思われない程度にぎゅっと目をつぶって深呼吸をすると、改めてキースへと向き直る。
「――あの、スカイハイ、さん」
「うん? なんだい?」
「あの、ですね。その女性、なんですが」
「彼女が――どうかしたのかい?」
「あの……その女性は、きっと」
 ああ、どうしても言葉が上手く紡げない。
 その先がどうしても言葉に出来ない。

 無意識に逃げ道を探して視線があたりを彷徨う。その時ふと、イワンの目にキースの抱えた花束が目に入った。
 真っ赤に咲き誇った、美しい薔薇の花束――その意味は『純愛』
 ぎゅっと胸の奥が締め付けられる。その真紅の中にちらほらと見える紫色の小さな花に、目が止まった。

 ――その花は。

 ひゅっと息を呑む。自然と疑問が口をついて出た。
「――スカイハイさん、その……紫の、花って……」
「ああ、これかい?」
 キースがかさ、と手にした花束を持ち上げる。愛おしそうに――切なげな光を秘めた瞳で、それを見る。
「シオンと言うんだ。可憐で、綺麗な花だろう? ぴったりだと思ってね」

 誰に、とも、何に、とも、言わない。
 赤い薔薇に埋まる、紫の小さな花。

 イワンはその花を『識って』いた。
 そして、その花の示す『意味』も。
 それは、つまり。

(――どう、して)

 どくん、と心臓が大きく脈打った気がした。

 呼吸が詰まる。上手く息が吸えない。
 胸が、苦しい。
 息が、出来ない。

 どうして笑っているんですか。
 どうして貴方は其処にいるんですか。
 どうしてこの場所に留まり続けるんですか。
 どうして――

『わかっているのに』。

 紫苑の花。
 その花の、示す意味は。
 そして、紫に包まれる真紅の薔薇の、その意味は。

「――折紙君?」
 彼の異変に気付き、キースが怪訝そうにイワンを見上げる。
 イワンは震える声で告げた。
「……僕は……姿は、真似できても、心は、真似、できません……」
「折紙君、君は」
「でも……」
「どうして君は、――泣いているんだい」

 冷たい雫が、とめどなく頬を伝う。
 イワンは泣いていた。
 胸の奥、しくしくと痛むその向こうから滔々と溢れ出す感情に突き動かされるそのままに。

 哀しかった。
 切なかった。
 苦しかった。
 そして、止められなかった。止めることが、出来なかった。
 とっくに――『気付いて』いたはずなのに。

「……これは……スカイ、ハイ、さん、の……」

 あなたの事、どうして今まで気付かずにいたんだろう。
 何も言えなかった。何も伝えられなかった。
 自分が支えになってもらったのに、あなたを支えることが出来なかった。
 後悔が、とめどなく溢れ出して、止まらない。
 だから、自分はこんなことしか出来ない。
 あなたのために、こんなことしか出来ないのだ。

「――私の……?」
 キースがそっと手にした花束をベンチに置いた。恐らく彼女が――その女性がいつも、座っていたのであろう場所に。
 そしてすっとイワンの前に立つと、ごく自然な動作で彼の涙を指で掬った。

「君が……泣く必要は、ないんだ」
 だから泣かないで。声にならない言葉が泌みて、だが溢れる涙は止まらない。
 これは心に真実を押し隠したままでいるキースの涙なのか、それともどう足掻いても届かないことに気付いてしまった自分自身の涙なのか。
 わからないまま、ただどうしようもなくイワンは、泣いた。





 紫苑の花言葉:
 『あなたを忘れない』



 それは、別れの花言葉。


















15話があらゆる意味でショックすぎた


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