NEXT殺人犯、鏑木・T・虎徹が逃亡してから丸一日が経過した。
 その間司法局やヒーローの面々は必死に殺人犯の追跡を行っていたが、一向にその足取りは掴めず――捜査にもなんら進展のないまま、事件は迷宮入りの様相を呈し始めていた。



「……くそっ……」
 真っ暗な夜にビルの明かりが煌々と輝く都市・シュテルンビルトの最下層――その一角、雑居ビルが立ち並ぶ区画の路地裏で、虎徹は小さく毒づいた。

 開発初期に投資家がこぞって不動産投資を行ったものの、その後権力者に見放された場所であるその区画はすっかり古ぼけてしまったビルやアパートが身を寄せ合うようにして立ち並び、非常にごみごみとしていて視界も悪い。
 そのおかげで今や犯罪者やその予備軍の温床となっているが、それだけに身を隠すには非常に都合が良かった。あまり認めたくはないが、木の葉を隠すには森の中というわけだ。

 自宅はとうの昔に捜査の手が伸びていた。誰か知り合いを訪ねようにもこの状況では誰が敵で誰が味方かもわからない。最悪全ての人間が敵――その可能性すらあるのだ。
 自分のプロフィールは一般にこそ公開されていないが、司法局や所属しているアポロンメディアには勿論自分の詳細なプロフィールが残っている。そうなれば遅かれ早かれ実家の家族にも累が及ぶことになるだろう。
 そうなってしまえば――真実、味方は誰もいなくなる。
 誰も認めない冤罪と払いようのない汚名を着せられ、誰を助けることも、何をすることも出来ずに――

「――っ」
 不意に気配を感じて身構える。
 振り返ると、路上に差し込む明かりを背に、長身の男がゆっくりとこちらに近付いてくるのが見えた。
 暗がりでもわかる柔らかな金色の髪は今までずっと傍に並び立っていた存在の見慣れたそれ。
 射抜くような鋭い眼光を宿した翠の瞳は出会った頃よりもずっと険しく厳しいもの。

「……バニー……」
 呆然と、名を呼ぶ。
 その男――バーナビーは虎徹が呟いたその名前にぴくりと僅かに眉を動かしたが、それ以上は何の反応も示すことなくゆっくりとした足取りでこちらに近付いてくる。

 その態度に虎徹は小さく嘆息する。昨日彼が何も言わずに立ち去ったときと何ら状況は変わらないのであろうという事実に。
 恐らく、彼は自分のことを忘れてしまったのだ。
 一年という短い間であれ――その濃密な期間に育んだ全てを。

 ザッ、とバーナビーは正面に立つと、そのナイフのような鋭い眼光を虎徹へと向けた。
 その瞳はいつもの彼らしくなく――それどころか、昨日突然襲い掛かってきたとき以上にどんよりと曇り、まるで刃に錆が浮き出たなまくらのような濁りを帯びていた。
 迷いと、戸惑い。抗いがたい憎しみと、それを押し留める困惑。
 それらがない交ぜになった複雑な感情の色。

「……本当に……」
 ぽつり、とバーナビーが呟く。
「本当に、お前が……サマンサおばさんを、殺したのか」
「違う」
 昨日も糾された問いに、きっぱりと同じ答えを返す。
 それを認めるわけにはいかない。
 例え今まで過ごしてきた時間を忘れられてしまったとしても、例え自分がヒーローではないと否定されたとしても――例えその謂れなき罪を認めることで、一時でも彼の心が晴れるのだとしても、そんなことを認めるわけにはいかなかった。
 嘘偽りで彼を救ったつもりになっても、それが助けになるはずなどない。
 例え忌み嫌われようとも、彼は真実で救わなくては、意味がない。
 そうでなくてはきっと、今の彼の瞳に宿る暗澹とした色は拭い去ることが出来ないだろうから。
 バーナビーがぎり、と眉間の皺を深くした。
「いつまでそんな嘘を……」
「違う、俺はやってない! 俺がそんなことするはずない、信じてくれ、バニー!」
「ッ――!」
 再び名を呼ばれ、狼狽したようにバーナビーがぐらり、と一歩後退る。
 虎徹は畳み掛けるようにして更に問うた。
「なあ、俺のこと、お前は本当に忘れちまったのか!?」
「……忘、るも、何もッ……」
 お前など知らない、知っているはずがない、とバーナビーはうわ言の様に何度も繰り返す。
 その言葉が発せられるたび、虎徹は抉られるように痛む心を自覚していた。

 忘れられること。見ず知らずの他人として接されること。憎しみの色を籠めた瞳で自分を見つめてくること――その全てがずきずきと心を抉る。
 あんなにも優しくあたたかくなった彼の翠の瞳が、冷たく自分を射抜くことが辛くて。
「……ン、でだよッ……」
 知らず、その胸に拳をぶつけていた。
 力ない拳はとん、とバーナビーの胸板を叩き、そのままずるずるとくずおれていく。
 バーナビーは何も言わない。ただ虚ろな瞳でぼんやりと虎徹を睨み続けるだけだ。
 何の感慨も感情も浮かばないのか――それとも、出会った頃と同じように、裡に渦巻く感情を鉄壁の壁でくくってただ表に出さないだけか。
「せっかく……分かり合えたと、思ってたのに……」
 それは幻想だったのか。自分の思い上がりが描いた夢物語だったのだろうか。
 たった一度のすれ違いですべてが壊れてしまうほど、脆弱な絆だったのだろうか。
「なぁ、俺のせいなのか……? 俺が、ヒーローやめるっていったから、お前は俺の存在ごと、忘れちまおうとしたのか?」
 もし、そうであったとしたら――自分はあまりにも、取り返しのつかない過ちを犯したことになる。
 謂れのない冤罪とは結びつきはしないが、それでももし、何かが一端として関わっていたりしたら――と、悪い想像ばかりが脳裏を過ぎった。
「……答えてくれよ……」
 もはや懇願に等しい声音が、呻くように虎徹の口から漏れる。
 やはり答えはないのか――そう思ったその時、突然強く手首を掴まれた。
「ッ!?」
 慌てて顔を上げる。と、白い手が虎徹の手首をがっちりと、どこにそんな力があるのかというほど強く強く掴んでいる。
 眼鏡の奥に押し隠された瞳は逆光でその色彩を伺うことは出来ない。だが浮かべたその表情に、間違いなく怒りと憎しみを宿していた。
「バッ………バニー!」
 このまま俺を捕まえるのか――そう問おうとした時、不意に手首を掴んでいた手の力が、すっと抜けた。
「――……!?」
 かと思えばまた、痕が残るかと思うほど強い力で掴まれる。
 がくがくと震えを隠さないまま、バーナビーの唇が、小さく戦慄いた。
「……こ、てつ、さ」
「ッ、バニー!?」
「っ――」
 だがたった一言、名を呟いただけで彼は掴んでいた手首を乱暴に解き放すと今度は感情に任せて突如虎徹の胸倉を掴みあげた。
 喉が圧迫されて、息が詰まる。
「ッ……苦、し……」
「……何なんだ……ッ! あなたはサマンサおぱさんを殺した、ただの殺人犯だ、そのはずなんだッ!! でもどうして、僕はあなたをこんなに」
「……ッ………放っ……」
「それなのにどうして、どうしてあなたは、僕を、置いて」
「――……!?」
 ずるり、と胸倉を掴みあげていた力が、抜ける。
「あなたの……せいで……僕は、大事な、ものを」

 手に入れて、そして失って。
 目の前にはただ、虚ろな色が広がるだけ。

「だから僕はもうッ……!!」
「……もういい、落ち着け、バニー」
 虎徹はバーナビーが能力に任せて暴走しないよう、必死に彼の身体を抱き締める。

 ――きっと、既に彼自身何に対して怒りを抱いているのかわからなくなっているのだろう。
 失うことへの怖れと喪った痛みが絢い交ぜになって、彼の視界を曇らせている。
 今日の前にある与えられた答えをただ真実と受け取って。
 孤独という心の虚を、埋めるために。

「……傍にいるから」
 バーナビーの身体を抱き締めたまま、小さく呟く。
「お前の傍にいてやるから。嘘じゃねえよ、ずっといる。な?」
 孤独が彼を苛むなら、せめてそれだけでも救いたい。
 喪った痛み、傷ついた心、忘れてしまったもの、それらを救うことが出来なくても、せめて――



 ――NEXT殺人犯逃走の報がシュテルンビルト中に報じられてから、三週間が経過した。
 未だ犯人は捕まらず、事件は迷宮入りしたものとして、世間の注目は既に別のものへと関心を寄せている。
 あの時指名手配された犯人が、今、何処にいるのか――それを知る者は、いない。



 否――



 全面窓から見える街の明かりだけが唯一部屋を照らす真っ暗な部屋、その外でばたばたと多分に焦燥を含んだ足音が響き、暗がりに身を横たえていた彼はゆっくりと顔を上げた。
 忙しなく扉が開き、廊下から差し込む逆光に一瞬だけ長身の男の影が部屋に落ちる。
 だがすぐに扉が閉まり再び室内は明かりのない闇へと落ちた。
 部屋に入ってきた青年の息は荒い。ぜいぜいと肩で呼吸する音が静まり返った室内に響く。そして何かを捜し求めるようにしきりにきょろきょろと真っ暗な部屋の中を見回している。
 そんな青年の姿を黒い影として捉えながら、ベッドに横たわっていた彼は少々嗄れた声で青年を呼んだ。
「……おかえり、バニーちゃん」
 途端、焦燥を惨ませていた青年がどっとため息をつくのがわかった。
 焦りは一瞬にして消え、安堵の気配が伝わってくる。
 そのまま明かりも点けずに近付いてくる彼――バーナビーに、虎徹はくすりと小さく笑いを零した。
「逃げなかったんですね」
「俺はずっといる、って言っただろ」
「信用できません。あなたは――殺人の容疑者なんですから」
「だから、違うっつの」
 お定まりになったやり取りを、今日もまた繰り返す。
 もはや数えることも億劫になるような、変わらない毎日。
 暗がりの中、ただ互いが傍にいることだけを認識する、それだけの日々。
 倒れこむように伸ばされた腕を抱きこんで、二人はそのままベッドへ身を横たえた。
「まだあなたは……罪を認めないんですか」
「俺じゃねえからな」
「嘘はいけませんよ」
「嘘じゃねえっつの」
 重ねあう言葉は睦言の様に艶を含んでいて、そのくせ酷く中身のない虚ろなものであることにはお互いとうに気付いている。
 だが既にそんなことはどうでも良かった。
「あなたが罪を認めるまで……絶対に、逃がしません」
「ンなもん関係ねえよ。……ずっと、傍にいてやるから」
 その言葉を最後にどちらからともなく互いの唇を塞ぐ。
 暗闇の中でその存在を確かめるように。
 真っ暗な視界に色彩はない。喜びも悲しみも、慈しみも憎しみも、愛しさも苦しさもない、モノクロの世界。
 それでもいつかあの時のように、様々な感情の色彩を咲かせることを夢見ながら――
 今はただ、闇の中に在る唯一の熱に身を寄せた。


















Color of the Heartの続き。色が無くなったから、モノクロ。


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