高く澄んだ空はどこまでも青く、青く。広く茂る木々は若々しい緑――それなのに世界は何処までもモノクロだった。
 それは、或いは整然と建ち並ぶ御影石の群れが、そう感じさせるのかもしれない。

 オリエンタル・タウンの外れにある、小さな共同墓地――
 所々に苔が生え、人の手が入らなくなって久しい古びた墓碑から、まだ研磨されて間もないのであろうつやつやとした質感を放つ墓碑まで、大小さまざまな墓石が一分の歪みもなくきっちりと建ち並べられている。
 その整然とした黒灰色が、青い空の高さや茂る緑の鮮やかさを全て掻き消してしまっているかのようであった。

 此処は、生きていない場所だ。

 命の匂いが感じられない、そんな場所の片隅に、ぽつんと小さな人影があった。
 等間隔に並んだ墓碑のそのひとつの前に腰を下ろして、ぼんやりと御影石を見上げている。
 墓石は今しがた掃除されたばかりなのだろう、冷たい水が表面を濡らし、黒灰色を更に濃く滲ませている。
 花立には真新しい花――真っ白なキクとストック、差し色に添えられたカーネーション、そしてヒャクニチソウ。
 瑞々しい花の色彩が、白黒の画板にぽつりと絵の具を垂らしたかのようにそこだけ鮮やかな色を落としていた。

「……兄貴も、この間腰を痛めたとか言ってたけど、まあ元気でやってるみたいだ」
 御影石の前に腰を下ろした男がぽつり、と小さく呟いた。
 花立に添えられた花、そして細く煙を上げる線香は、彼が上げたものだろう。

「楓も俺が気付かないうちにどんどんでっかくなっててさ……はは、笑っちまうよな。今は兄貴ンとこでバイトしてんだってよ。でっけぇ瓶とか抱えて、この間までお前の腕の中でこーんな縮こまってたと思ってたのにな」
 力なく笑いながらぽつぽつと語る男の背は、小さい。
 幾年もの間一人娘を支え、時に何人、何十人もの人々を支え続けてきた男の背というには、あまりにもそれは細く、小さく、力ないものに見えた。
 そんな姿を、彼はこの場所でだけ垣間見せる。

 この墓に居るのは、彼の亡妻だ。
 若くして召されてしまった、彼の最愛の人。

 彼――鏑木・T・虎徹は、墓の下で眠っている細君に向かい、近況を報告しているのだった。
 今はもう見かけることも少なくなった――だが彼はそれでも時折、こうして墓の前にやってくる。数少なくなってしまった他の人々と同じように、当たり前に。

 昔は、小さな娘を連れて。
 時に、彼の兄や、母を連れて。
 そして多くは、一人きりで。

 それはきっと、この僅かな時間が彼にとってとても大切な時間だから。
 最愛の人に語らうことのできる、貴重なひとときだから。

 ――それでも、自分の使命は全うしなければいけなかった。

 唇を噛み締め眦を上げて、忽然とそこに現れた人影は音もなく虎徹の傍へ近づいていく。そして彼の小さな背を見つめるようにして、立ち止まった。

 気配に気付いたか、虎徹がゆっくりと振り返る。
 そしてその姿を見、少しだけ不審げに眉をひそめた。

 そこに立っていたのは、黒金の青年だった。

 肩まで掛かる柔らかな金色の髪、眼鏡の奥から覗く翠の瞳。白い肌を漆黒の礼服で包み、背筋を伸ばした立ち姿でじっと虎徹の姿を見下ろしている。

「……えーと、どちら様?」
 虎徹が胡乱げな声で黒服の青年を見上げる。
 青年は表情を変えぬまま、固い声で答えた。

「僕は、バーナビー・ブルックスJrです」
「はぁ。で、そのナントカさんが俺に何の用?」
「あなたを連れに来ました」

 バーナビーの顔が、悲しげに歪んだ。



 死神なのだと、彼は言った。
 生者の魂を狩り、死後の世界へその魂を連れて逝く、忌み嫌われし神の末端だと。
 そして、死期の近いあなたの魂を狩り取り、生者の世界と切り離すため、此処に現れたのだと。
 固い声で告げるバーナビーの言葉に虎徹は一瞬だけ目を瞠ったが、その後は力ない悲しげな微笑みを浮かべて「そうか」とだけ小さく呟いた。

「俺にもお迎えが来たって、ことか」
 まだ早いかなと、思ったんだけどなぁ。自嘲めいた声に、バーナビーは眉尻を寄せる。
「どうして……あなたは、笑っているんですか」
「……お前こそ、どーしてンな辛気臭い顔してんの。仕事なんだろ?」
 茶化すように告げられ、バーナビーはますます眉間の皺を深くする。
「僕のことはどうでもいいんです。どうして、……あなたこれから死ぬんだって言われてるんですよ? なのにどうしてそんなに落ち着いて、笑っていられるんですか」

 バーナビーの声は変わらず固い。虎徹は彼に背を向けて座ったまま、目の前の墓碑に向かって小さく首を傾げてみせた。

「何でって……さぁ、なんでだろうな」

 墓碑から返る答えなどない。だが彼の視線は変わらず御影石へ向けられている。まるでそこに誰かがいるのだとでも言うように。

 ――そこには、誰もいないのに。

「僕は、あなたを……殺そうとして、いるんですよ?」
 濃琥珀の瞳をどうにかこちらへ向けさせたくて、余計な事まで口走ってしまう。
 だが視線は変わらず墓碑の向こうへ向けられたまま、返る答えは酷くあっさりとしたものだ。
「そうみたいだな」
「そうみたいだって……どうして、そんなにあっさり」
「さぁ……なんでだろ」
「また、それですか」

 思わず呆れた声が出る。その事実にバーナビーは内心顔をしかめた。
 死神は連れ逝く魂に肩入れしてはいけない。そんなことは基本中の基本だ。わかっているのに、間違いなく自分はこの男に肩入れしている。
 ――いや、そんなコトはもっと前からわかっていた。それでもその事実を認めたくなくて、こうして彼を連れて逝く役目を買って出たのだ。
 それでもやっぱり、事実は変えようがなかった。それどころかその想いは確固たるものなのだと、そう認識せざるを得なかった。

 自分はずっと、彼から目が離せなかった。彼と向き合い、一度でいいから話したいと、そう思っていた。
 彼が最後に感情を顕わにした、あの日から――

 虎徹が漸くバーナビーの方へ振り返った。
 その顔には最初に見せたものと同じ、悲しげな笑みが浮かんでいる。
 一見何の変哲もない、ただ場所柄少し控えめに笑っている、ただそれだけのように見える表情。
 だが、バーナビーにはそれが笑みには見えなかった。

 笑っているのに、笑っていない心。
 無機質で無感情で、冷たく貼りついたような、氷の微笑。

「どうして……そんな風に、笑うんです」

 初めて見たときはもっと色鮮やかな感情を見せる人だった。
 だがその感情の花が、目の前で一瞬にして散っていくところを見てしまった。
 まるで夜空に咲いた花火のように、美しくそして一瞬で消えた花。

 今目の前にあるのは、枯れた花のカケラだ。

「さぁ」
 曖昧な答え。
 だから、逆立てたくなる。波立たせたくなる。
 凪いだモノクロの世界に、色彩を与えたくなる。

「あなたは殺人犯や犯罪者を捕まえるのが仕事なんでしょう」
「お前面白いこと言うな……お前、死神なんだろ? それが仕事じゃねーのかよ」
「確かにこれが僕の仕事です。あなたたち人間を死なせることが――」

 滑るようにそこまで口にして、バーナビーはふと思い立ったように口を噤む。
 そして、静かな水面に小さな石を投じるように、その言葉を唇に乗せた。

「あなただけじゃなく、あなたの大切な人も」
「――」

 虎徹の表情が、僅かに揺らぐ。
 もっと。ほんの少しでいい、あと少しだけ。
 バーナビーは固い表情のまま、すっと右手を挙げ、虎徹の前にある墓碑を指し示す。

「そのお墓の人、――友恵さんを連れて行ったのは、」

 あのとき、あなたを慟哭させたのは、
 あなたの感情を散らせたのは、

「僕です」

 濃琥珀の瞳から、光が消えた。



 怒ればいいと思った。怒りを顕わにして、自分を詰って、謗って、どうして連れて行ったと、叫び、慟哭し、そして、泣けばいいと、そう思った。
 あのときのように。悲しくも美しいあでやかな感情を垣間見せたあの一瞬のように。

 彼女を――彼の最愛の人を連れて逝った、あの日。
 あれはバーナビーの死神としての最初の仕事だった。
 今でも鮮明に覚えている。
 滞りなく彼女の魂を狩り、しかるべき処へと連れて逝こうとした――その時、病室に飛び込んできた姿。
 それが、虎徹だった。

 バーナビーはあの時初めて、ヒトが感情を爆発させ、そしてが壊れていく瞬間を目の当たりにした。
 悲哀、そして慟哭。
 涙もなく叫びもない、だがバーナビーはそのとき確かに、彼の心の悲鳴を聞いた。
 くず折れていく心。
 やり場のない怒りと、悲しみ。
 人間とはこんなにも、胸を衝くような哀しさを持つ生き物なのか――そう、思ったことを覚えている。

 それからずっと、何かにつけ彼のことを気にするようになった。
 遥か彼方から見る彼は、どこにでもいるようなごく普通の男でしかなかった。
 彼は良く笑った。そして同じくらい怒り、困り、時に沈んだ表情を見せた。
 仲間が喜べばともに笑い、仲間が哀しめばそれを励ます。朗らかで優しく誰からも慕われるような、そんな存在だった。
 だがその笑みや怒りの下にある本当の感情は、あの時すでに死んだのだ。
 自分が連れ去った魂とともに――

 優しい笑みを浮かべるその姿を見下ろしながら、ヒトの心が死んでいく、というのは、こういうことなのだと知った。
 あんなにも色鮮やかだった感情は、だが今はもうモノクロだ。
 色彩豊かなようでいて、実際には酷く味気ない、そんなモノクロ映画のような感情。

「僕は、あなたの大切な人をあなたから奪った張本人です。それが、使命です。あなたたちの心なんて、関係ない」

 これから死を迎える人間に、敢えて冷たい言葉を放つ。
 死神は連れ逝く魂に肩入れしてはいけない。そんな規則に背を向けて、バーナビーはひたすら彼のことを傷つけようと躍起になる。
 鋭利な刃で傷つけることで、流れる血にその表情を崩して欲しくて。
 怒りでも、悲しみでもいい。マイナスの感情でいい、鮮やかな色彩の感情を自分に向けて欲しくて。

 一度その魂を然るべき処へ連れて逝ってしまえば、もう二度と彼と見えることは叶わないだろう。
 だから、せめて最後に、あの時彼が散らし喪った感情に、もう一度だけ触れたいと思った。
 あのとき一瞬だけ見せた鮮やかな色彩を、この手で取り戻したくて。
 それは彼から大切なものを奪ったことへの贖罪か、或いは――それ以外の何かなのか。
 度を超えた執着、それが何であるのかバーナビーは自覚していない。
 それでも――まるで突き動かされるように、彼は言葉のナイフを放つ。

 だが。

「――そう、か。そうだったんだな」

 虎徹はただ、それだけを呟いて、小さく、哀しげに微笑む。
 肩をすくめ、おどけたようにカラ笑いを浮かべて。
 それを見て、バーナビーはどうしようもない事実に気付く。

 喪ったものはもう取り戻せないのだと。

 呆然と立ち尽くすバーナビーに、虎徹はいっそさっぱりした笑みを浮かべながら、告げた。

「お前が連れてったなら知ってるか? 今日さ、命日だったんだよ」
「……」
 人間の世界にそういった風習があるのは知っている。だがそれは知識だけで、それ自体が持つ意味など、考えたこともなかった。
 そんなものに意味があるのだと、考えたことなどなかった。
「だからさ、まあ、こう言ったらなんだけど、これも縁なのかもしんねーよな、って」
「……」

 虎徹が困ったような顔で、首を傾げる。
「……なぁ、どうしてお前が泣いてんの」
 バーナビーは答えない。答えられるはずもない。
 どうして涙が流れてくるのか、どうして今、自分は悲しいと思っているのか――
 渦巻く想いに対する的確な答えなど、持ち合わせていなかったから。

 ただ、青く広がる空も、茂る木々の緑もモノクロで――
 供えられた花の色だけが鮮やかで。

 あの時一瞬だけ見せた鮮やかな色彩を、自分は手に入れることが出来ないのだと。
 手に入れることの出来ないまま、これで終わりになってしまうのだと。

 彼の寿命はこれで終わり。それは死神である自分自身が一番良く知っている。
 だから、彼と見えることができるのも、これが最初で最後。

 それが悔しくて、悲しくて、どうしようもなくて。
 バーナビーはその場に立ち竦んだまま、ただひたすら、止まらない涙を流していた。

 彼の命のタイムリミット、その瞬間まで。


















ついったでRTされた「死神のバーナビーと四十代の虎徹」で書いてみたはいいもののかなりの大暴投(いつも通り)
カップリングどころか恋愛未満である
ついでに年齢設定とか色々おかしすぎてもうだめだ


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