『Bonjour Hero. 皆、もう現場に到着しているわね? 展望台火災の影響でビル高層部が倒壊する危険性が高まっているわ。その前に何としても逃げ遅れた要救助者を確保して頂戴』





「……っ熱……」

 ――あちこちで火の手が上がっている。赤々と燃える炎の熱に煽られながら、ヒーローの一人である折紙サイクロン――こと、イワンはふらふらと脱出口を目指していた。すでに要救助者は全員脱出が完了したと、先程アニエスから無線通信で知らされている。

 結局今日もあまり役に立たなかったなと、炎を避けて先へと進みながら自嘲する。大体こういう火災事故の要請の時はスカイハイとブルーローズの独壇場なのだ。正直なところ二人に任せておけばそれで事足りてしまうのだが、それでもきっちり自分の仕事――要するにスポンサーロゴのアピール――を果たさなければという妙な使命感と、そしてそれ以上に『何か』しなくてはという強迫観念めいた衝動が、イワンの怖気つきそうな足を何とか前へと進ませていた。
 何も出来ない、役に立たないことなんてわかりきっている。それでも自分がヒーローである以上、『何か』しなくてはいけない。そんな焦燥に駆られる。

 ――あいつなら、きっと恐れずに前へ進めるんだろうな……

 辺り一帯の熱気のせいで半ば朦朧とする意識の中、ぼんやりとそんなことを思う。
 ヒーロースーツのおかげで煙を吸い込んでしまうことはないが、それでも膨張した熱気が常に肺を圧迫して息苦しい。

 ――どうして、僕がヒーローなんだろう。

 養成学校を卒業してからずっと胸にわだかまる疑問。

 何故、どうして。こんなに自分は無力なのに。大して役にも立たないのに。僕よりもずっとあいつの方がヒーローに相応しかったのに。どうして。

 脱出口が見えた。今いる場所は大分傾き始めてしまっている。早く出なくては倒壊に巻き込まれてしまいかねない。イワンはぐっと足に力をいれた。

 ――その時、視界の端に、小さな動く影が映った。
「――……?」
 思わずその場に立ち止まる。

 もう要救助者はいないはず。なら今見えたのは気のせいだろうか。そう思いつつもイワンの視線はその動く影を探して彷徨う。
 また視界の端をちらりと何かが動いた。気のせいなどではない。確実に何かがいる。
 イワンは落ちている瓦礫を避けながらその動く影へと近づいた――そして。

「あ……え……?」
 その小さな影の正体に、思わず声が漏れた。

 そこにいたのは、小さな小さな――子犬、だったのだ。

 まだ生まれてさほど経っていないのであろう、イワンの腕にすっぽり収まってしまいそうなほどの大きさのその子犬は、耳と尻尾を伏せて警戒心を顕わにしながら、焼け落ちた瓦礫の上をよたよたと走って逃げている。
 一見して首輪はついていない。野良犬が紛れ込んだのか、それとも展望台の客が気まぐれに連れ込んでいたのか。いずれにせよ酷く場違いな存在であることに違いなかった。

「ど、どうしてこんな所に……そ、そんなことよりも」
 助けなければ。全く無意識にそう考えて、イワンはその子犬へと手を伸ばした。だが子犬はすっかり怯えてしまっているらしく、伸ばされたイワンの手にびくりと震えたかと思うと一目散に逆方向へと逃げ出した。
「あっ、待っ、待つでござる!」
 慌ててイワンもその後を追う。炎が爆ぜる音、そしてすぐ後ろでがらがらと何かが落ちてくる音がしたが、そんなことには構っていられない。イワンは必死になってその子犬を追いかけた。

 辺りの倒壊はどんどん進んでいる。早く逃げなければ巻き込まれる。早く、早く逃げなければ。あの子犬を連れて。
「待って……!」

 スーツがあるにもかかわらず炎が灼けるように熱い。耐熱限界か、スーツが耐えられないほど周りの温度が上昇しているのがわかる。犬は人間より適正温度が低いのだ、こんなところに長くいて耐えられるわけがない。
 目の前で一際大きく炎が爆ぜる。その拍子に目の前の大きな柱が轟轟と炎を撒き散らしながら派手に倒れた。燃え散った破片と火の粉に阻まれ子犬が足を止める。その隙を突いて、イワンはどうにか後ろから子犬を抱きかかえた。
「つか、まえた……っ」
 力なく暴れる子犬をどうにかなだめる。良かった、これで――ふっと息をついたその瞬間、ぐらりと視界が揺らいだ。
「え――」
 身体が傾ぐ。目の前にあった炎柱がずるずると斜めに落ちていく。目眩を起こしたようにたたらを踏んで――その足が、宙を踏んだ。
「あ……!?」

 周りが崩壊していく。辺りを支えていた柱が燃え落ちたことによる崩落に巻き込まれたのだ、と気付いた瞬間、イワンは咄嗟に腕の中の子犬をぎゅっと抱きかかえていた。

 この子だけでも守らなければ。

 身体が投げ出される感覚。飛び散る火の粉が腕を、足を焦がしていく。下はコンクリートの地面だったはずだ。このまま落ちれば――イワンはそれ以上の思考を放棄してぐっと目をつぶった。

 落ちる。
 落ち――

「――あ、れ……?」

 いつまで経っても落下の衝撃が来ないことを訝しんで、イワンは恐る恐る目を開けた。

 景色はゆっくり下へ下へと降下している。そこでようやく、自分の身体を何かが受け止めているということに気付いた。
 空気の層とでも言うべき、目に見えない何かがまるでクッションのようにイワンの身体を包み込んで、ゆっくりと降下させているのだ。

 ――これは……

「折紙君っ! 無事かい、そして怪我はないかいっ!?」
「ス……スカイハイ、……殿」
 ばさばさと風を纏いながら隣を滑空してきたのは、『風』のNEXT能力者であるキングオブヒーロー――スカイハイだ。
 彼は自在に『風』を操る。今身体を纏っているのも恐らく『風』によるクッションだろう。どうやら彼の能力に助けられたらしい。
「かっ……かたじけない、で、ござる」
「礼には及ばない! それより、腕に抱いているのは?」
「ああ、これは……」
 現場に迷い込んでいたのだ、と説明しようとして、ふっと足が地に着いた。身体を纏っていた風が掻き消える。突如戻ってきた重力の感覚に思わずよろけた。
「っと」
 とんっ、と力強い腕が肩に触れる。同じように降りてきたスカイハイがイワンの身体を支えていた。
「大丈夫かい?」
「あ、えっと……だ、大丈夫……でござる」
 こんなことでふらふらしている自分が情けなくなる。と、腕の力が緩んだ拍子に抱きかかえていたそれがばっと飛び出した。
「あっ!」
 イワンの腕から逃れた子犬は一目散に人垣へと駆けて行く。もしかしたら飼い主の匂いがしたのかもしれない。
「子犬……?」
 スカイハイが不思議そうに首を傾げ、そしてぽん、とひとつ手を打った。
「そうか、君はあの子を助けていたのか」
「助け……」

 指摘されて初めて、自分はあの子犬を助けたのだ、ということに気付いた。
 こんなにも無力で、役に立たなくて、ヒーローに向いていない自分が助けることが出来た小さな命。

「――折紙君?」
 ぼうっと子大が立ち去った方を眺めたまま微動だにしないイワンを、スカイハイが不思議そうに見つめる。
 いつの間にか炎に包まれていた展望台は幾重もの透き通る氷の柱に包まれ、青く澄んだ空を映し出しきらきらと光を反射していだ。





「とりあえず治療は終わり。あとは鎮痛剤が効くまで、少し横になっていなさい」
「――ありがとうございました……」

 トレーニングセンター――そこにある救護室のベッドの上で、イワンは大きなため息をついた。

 HERO TVの中継が終わり、ヒーローたちはめいめい今回の件についての報告や自主トレーニングの続きなど、それぞれの持ち場に戻っている。
 だが――全身に軽度の火傷、そして崩落に巻き込まれた際に瓦礫によって受けた打撲。結局今回の件で一番の怪我人となってしまったイワンは、救護室での安静を余儀なくされていた。

 はあ、とまた自然とため息がでる。
 結局今日も大した活躍はなく、旋回していたヘリのカメラの端に何とか映りこむのが精一杯。あの後アニエスに『どうしてすぐ脱出しなかったの!』と説教まで貰う始末だ。

 本当は、ヒーローとしてこれではダメだということぐらいわかっている。だがイワンの中にいる弱気な自分が、そこから一歩前へ進むことを躊躇わせる。スポンサーから苦言を呈されないことも相俟って、どんどん『見切れ職人』というステータスが彼に定着してしまっていた。自分の役目は見切れること。そう納得し始めている自分がいた。

「……僕に、ヒーローなんて……」
 仕事を終えるたびにいつも口をついて出る言集。煮え切らない自分が呟く自責の念。呪いのように自分を取り巻くそれをため息と共に吐き出していると、不意に小さなノックと共に救護室に来客が現れた。

「――折紙君。怪我は大丈夫かい?」
「……スカイハイ、さん」

 現れたのはキングオブヒーロー・スカイハイことキースである。彼はおおよそ救護室とは縁のなさそうな明るい笑顔をイワンへと向けた。
 わざわざ見舞いに来てくれたらしい。イワンはゆっくりとベッドの上に身を起こして、彼を出迎えた。

「たいしたことはないと聞いていたが、無事を確認できて安心したよ」
 キースがにこりと笑って言う。クセの強い金髪に快活そうな青い瞳。ヒーローランキングでも全く対照の位置にいる彼は、その見た目もイワンとはまるで対照的だ。
 養成学校時代は良く「線が細い」と揶揄された身体を縮ませながら、キースに向かって頭を下げた。
「あの……ご迷惑おかけして、すみません」
「何のことだい? ああ、それより今回の件、要救助者を含め怪我人はいなかったそうだよ。火もブルーローズ君とレスキュー隊が無事消し止めてくれたそうだ」
「そう、ですか」
 キースの明るい報告に気のない返事を返す。と、たたたたたっ――と救護室の外から軽い足音が聞こえてきた。
「あ、ちょっと!」
「っ!?」
 看護士の制止の声にも構わずその足音はたんッ! と勢い良くベッドに身を起こしたイワンの胸に飛び込んでくる。
 それは――
「こ、この子……!」
「ああ、外で待っていろと言ったんだが」
 キースが悪戯がばれた子供のような微笑を浮かべた。
 イワンの胸元で尻尾を振っているのは、間違いない、あの時助けた子犬だ。

「どうして――ここに?」
「あの後、人ごみの中をうろうろしているのを見つけたんだよ。どうやら君を探していたようだったからね」
「僕を……?」
 首を傾げて、腕の中の子犬を見る。
 火の中ではあんなに怯えて震えていたのに、今では恐怖の欠片さえ感じられず、愛矯たっぷりにイワンにしがみついている。

「その子も、君に感謝しているようだ」
「……そんな、感謝されるようなことなんて」
 キースの言葉にイワンはぶんぶんと頭を振った。
「助けたのは、スカイハイさんで」
「だが、その子を見つけたのは君じゃないか」
 今にも消え入ってしまいそうなほど気弱なイワンの言葉を、キースはあっさりと否定した。
「その子犬を助けたのは間違いなく君だ、折紙君。私はそれを知っているよ」
 強い意思の宿った真っ直ぐな瞳が、イワンを射抜く。そこには何の嘘も虚飾もなかった。
 彼はただありのままを告げているだけだ。それだけのはずなのに、それが酷く心に響く。

 キースがふわりと微笑んだ。
「ありがとう。君のおかげで、その小さな命は救われた」
「――え……」

 一瞬、何を言われたのかわからずに戸惑う。
 ――礼を、言っている。キングオブヒーローが。この自分に?

「あの……僕……」
 どう答えたら良いかわからなくて、腕の中の子犬をぎゅっと抱きしめる。子犬はくぅん、と鼻を鳴らしてイワンを労わるように顔をぺろぺろと舐めた。

 ――僕は、この子を助けることが、出来たんだ。

 改めてその実感が胸の奥に湧いてくる。何も出来ない自分が出来た、小さなこと。
 ふと、キースはそれを言うためにわざわざ此処に来たのだと気付き、イワンは顔を上げた。

 キースは優しい笑みを浮かべてイワンのことをじっと見つめている。その瞳からは、例えば自分に発破をかけようとか、普段の行動を諌めようとか、そういった意思は全く感じられない。
 彼は本当に、ただ彼が思ったことを口にしただけだ。それがイワンにどんな心境を齎すのかなど、全く気にすることもなく。
 揺らぎなく、揺ぎ無く。どこまでも愚直で、どこまでも真っ直ぐ。

 ――でも、すごく格好良い。

 撫でてもらいたがっているのか、もぞもぞと子犬がイワンに頭をこすり付ける。イワンはくすりと微笑うとその小さなふわふわの頭を優しく撫でてやる。子犬が気持ちよさそうに目を細めた。

 子犬の頭を撫でながら、イワンはふと疑問に思ったことを訊いた。
「でも、どうして僕のところに? 飼い主は、見つからなかったんですか?」
 その問いにキースの表情が曇る。
「私も気になったんだが、どうやらこの子犬はあの辺りに棄てられていたらしいんだ。あの展望台に迷い込んだところに巻き込まれたというわけだ」
「棄てられて……」
 子犬を撫でる手が止まる。炎の中で震えている姿が脳裏によみがえった。

 逃げることも出来ず、ただがむしゃらに走るしかなかった小さな影。
 せっかく救うことができた命なのに、だがこの小さな子犬は帰る場所もないのだ。でも――

「……どうしよう、うちだと、飼えないし」
「そうなのかい?」
 首を傾げるキースにこくりと頷く。しょげるイワンに返ってきた答えは予想外のものだった。
「よし、それなら私が引き取ろうじゃないか!」
「……え!?」
 驚いて思わずキースの顔をまじまじと見てしまう。腕の中の子犬がびっくりしたように身をすくませていた。
「い、いいんですか!?」
「勿論! 私は動物が大好きだ、そして犬が大好きだ!」
 快活な笑みを浮かべるキースにやはり嘘は感じられない。
 イワンは子犬をそっと抱えなおしてキースの方へと顔を向けてやる。キースがわしゃわしゃ頭を撫でてやると子犬はおっかなびっくり首をすくませていたが、やがてぺろりとその手を舐めた。ベッドの上でぱたぱたと尻尾が揺れている。
「どうやら気に入ってもらえたみたいだ」
 ほっと目を細めたキースに、イワンもまた頷き返す。ふわふわの体毛にそっと額を寄せながら、小さく呟いた。
「……良かったね、いい飼い主が見つかったよ」
 この人なら、きっと大事にしてもらえるから。
 イワンに答えるように、子犬が小さくクゥン、と鳴いた。


















空折に目覚め始めた(キリッ そして今でもスカイハイさんのキャラが掴めないェ…


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