テレビのニュースが、悼むべき犠牲者と憎むべき犯人を無機質に映し出している。
 淡々と説明される内容――『現在逃走中の犯人が、一人暮らしの老人を殺害した』
 害されたのは自分の乳母――とても良くしてくれていた、自分にとって第二の母とも言うべき、親愛なる存在だった。
 どうして彼女が殺されなくてはならなかったのか。あんなにも優しく、善良で、非のない彼女が。
 ぎゅっ、と拳を握り締める。形の良い爪が掌に食い込むことも厭わず、彼は憎しみを力に込めた。
 テレビに映るその写真を睨みつける。そしてその名を、確りと心に刻んだ。
 憎むべき存在。彼女を殺した、犯人。必ず見つけ出す。見つけ出して、そして罪を償わせる。

「――鏑木……T、虎徹」



 その名を口にしたとき胸の奥から湧き上がってきた感情、それは――





「……くそ、こっちもダメか……」
 ビルの陰からちらりと覗いた先に制服姿の警官がいるのを確認して、虎徹はまたさっと路地裏へ身を隠した。
 つい昨日までは警官と一緒に犯罪者を追いかける立場だったというのに、どうしてこうなったのか。

 誰にも聞きとがめられないよう小さくため息をつき、無造作に髪を掻きあげながらこれからどうするかを思案する。
 一度自宅に帰るにせよ、どこかに身を隠すにせよ、自分の姿はあまりにも街中に喧伝されすぎていた。

 路地の隙間から、そっと街頭モニターを伺い見る。
 モニターには大分人相の悪い自分の写真がひっきりなしに映し出されていた。
 その下につけられたキャプション――『殺人の疑いで逃走中 容疑者 鏑木・T・虎徹』
 キャスターが淡々とニュースの原稿を読み上げる。

『犯人は一人暮らしである被害者の自宅に侵入し被害者を殺害、その後逃亡した模様。現場と思われる自宅からは犯人の指紋が複数検出されています。争った形跡等はなく、警察は犯人の行方およびその動機について調べています』
「……なんでこーなったんだよ、一体……」
 小さく毒づく。何が何だかさっぱりわからない。
 わかるのは、サマンサが何者かに害され、その容疑が何故か自分にかかっているということだけ。

 昨日、突然自分を訪ねてきた彼女。だが顔を合わせぬまま彼女はいずこかに消え、そして気付かぬうちに自分は殺人犯となっていた。アポロンメディア社の誰も自分のことを覚えておらず、バーナビーとは喧嘩別れになったままだ。
「……」
 自分を睨みつける翠の瞳を思い出し、我知らず小さく拳を握り締める。

 サマンサはバーナビーの乳母だった人物だ。彼が過去に触れるときに少なからず出てきた名前であるし、彼自身彼女のことを慕っていたということは言葉の端々から感じることができた。
 その彼女が殺されたのだ、彼にとって相当なショックだろう。しかも、殺したのは――真実は全く違うとはいえ――自分ということになっているのだから、尚更だ。
 バーナビーはあの報道を信じるだろうか。自分が、彼女を殺すような人物だと、そう思っているだろうか。そんなことはない、そう思っていても心の中に翳が差すのを止められない。

「信じていたのに」――そう呟いたときの彼は、明らかに傷ついた顔をしていた。信頼を裏切られたのだと、あなたは裏切ったのだと、そう、レンズの奥の翠の瞳が自分のことを責めていた。初めて出会ったときよりもずっと深く哀しい色をした瞳が、自分のことを拒絶していた。

 出会ったときは侮蔑、一緒に仕事を始めてからは困惑、ジェイクが現れたときの失望、そして初めて見せてくれた信頼――目は口ほどにものを言うというが、彼はその瞳に映る色に、表情よりもずっと雄弁な感情を見せていた。
 それから徐々に心を開いてくれるようになった。まるで遅咲きの薔薇がゆっくりと蕾を綻ばせるように。
 その奥に垣間見せた愛情という名の感情の色に最初はとても戸惑ったけれど、それでも心を寄せてくれたことが単純に嬉しかった。彼が求めるものを、与えてやりたいと思った。

 それなのに。
 彼のことを信じていなかったわけじゃない。信頼を裏切りたかったわけじゃない。けれどすでに時遅く、再び溝は深まってしまった。電話をかけても繋がりすらしない。誤解を解きたくても、どこにいるかもわからない。そもそもこの状態では、会いに行くことすらままならない。
 どうすればいい? どうしたら先へ進める? どうしたらバーナビーの、皆の誤解を解くことができる?

「……くそっ……」
 答えの出ない堂々巡りにもう一度小さく毒づいて、虎徹はとりあえずその場を離れることにした。
 ここで隠れていてもどうにもならない。だがアポロンメディア社には近付けない。だから、アントニオでもベンさんでも誰でも良い、誰かこの誤解を解いてくれるのに協力してくれそうな人間に接触して――

 必死に思考を巡らせながら歩いていたせいで、周りへの警戒が薄れていた。
 だからその瞬間――肩が軋むほどの衝撃、そして何が起こったのかわからないまま今度は背中に鈍い痛みが走る。
「ッ……!?」
 一瞬息が詰まる。後ろから近付いてきた誰かに肩を掴まれ、そのまま壁に叩きつけられたのだと、その事態を理解するのに数拍の間を要した。
「……かはっ……っ、てめ、いきなり何」
「――何故殺した」
「ッ!」
 突然襲ってきた人物に怒鳴りつけようとして――唸るような低い声音に、虎徹は言葉を詰まらせた。

「どうして、サマンサおばさんを殺したんだ」
「……っ前……バニー」
「言え」

 普段は発することのない、怒りに満ちた低い声――まるでジェイクを前にしたときのようなその鋭さに、虎徹は思わず顔をしかめる。
 今、彼の心に握られたナイフの切っ先は、間違いなく自分に向けられている。あの時ジェイクに向けていた、彼の中に秘められた激情の刃。
「バニー、お前俺があの人を殺すような人間だって思ってるのか? それともお前まで俺のこと、忘れちまったのか」
「何を言っている! 僕はお前なんて」
「俺はパートナーだろ、お前の! そんなことまで忘れちまったってのかよ!」
「誰が……ッ!!」
 声を荒げかけたバーナビーはだが急に顔をくしゃりと歪め、何かに抗うようにぐっと手に力を込めた。
 壁に押さえつけられた肩が、バーナビーの力にギシギシと悲鳴を上げる。
「ッ……! バニー、落ち着けッ……!」
「……お、前が、サマンサ、おばさんを、殺した、んだ」
「違うッ!」
 そうあってほしい、そうでなくてはならないと、まるで嘆願するような口調に虎徹は思わず叫ぶ。
「お前がッ!」
「俺を信じてくれ、バニー!!」
「――ッ!!」

 虎徹の言葉にバーナビーの翠の瞳が大きく揺れた。
 真っ直ぐに見つめる濃琥珀の瞳から逃れようとするように視線を泳がせる。

「……僕は、あなたを、信用できな――」
「信じてくれ」
「……」

 虎徹は視線を逸らさない。ただ真っ直ぐに、真摯な目でバーナビーを見つめる。
 いつか彼に信じてくれと、そう告げたときと同じように。
 俺はお前を信じていると、そう言外に告げながら。

「……僕、は……っ……」
 バーナビーの瞳が揺れる。
 怒り、憎しみ、そして、困惑。

 虎徹はただ真っ直ぐバーナビーを見つめる。
 怒りも憎しみも全て受け止めて。

「どうして……っ!」
 肩を押えつける手をぎゅっと握り締め、バーナビーは力なく項垂れた。
「……バニー」
 困惑が、掌を通して伝わってくるようだった。
 虎徹はそれ以上何も言わず、ただバーナビーの困惑を静かに受け止める。

 どうして彼が、サマンサを殺したのが虎徹だと思い込んでいるのかはわからない。
 けれどそれが濡れ衣である以上――彼に信じてもらうしかない。
 一度崩れてしまった信頼を、もう一度取り戻すしかないのだ。
 だがそのために自分にできることは、あまりにも少ない。
 今はただ――バーナビーの怒りを、憎しみを、困惑を、すれ違いの末にできてしまった溝を受け止める、それしかできない。

 触れている掌、握られた拳から少しずつ力が抜けていく。だがそれは別のものへと取って代わった。
 小さく、痙攣するようにバーナビーの手が震えている。

「……苦しい」
 突然ぽつり、と呟かれた言葉にぎょっとした。
「!? バニー、もしかしてどこか悪いのか!?」
「違う……あなたはサマンサおばさんの仇のはず、なのに」
「だからそれは誤解だって――」
「それなのに――どうして、あなたのことを、僕は――」

 バーナビーが俯けていた顔を上げ、そして真っ直ぐに虎徹を睨み返す。
 その翠の瞳に宿るのは、怒りと、憎しみと、困惑と、そして――

「……バニー? お前」

 自分を見つめる瞳が、くしゃりと歪んだ。

 まるで、泣いているように。

「どうして僕はあなたのことがッ――!!」

 魂から搾り出すような叫び。働哭、そして一瞬の交わり。
 刹那だけ塞がれた唇に、思わず瞠目する。
 それだけはいつもと変わらないぬくもりと苦味に名残惜しいと思う間も与えられぬまますぐに離れ――バーナビーは身体を突き飛ばすようにしてふらふらと虎徹から離れ、一歩後退った。

「どうして、僕はッ……どうして――!!」
「おい、バニー!」
 手を伸べようとして、だが突如沸き起こったふわりとした感覚がそれを阻む。
 まさか――それを声に出す間もなくバーナビーの身体が仄青く発光し、次の瞬間彼の姿はその場から消えていた。
 やや遅れて砂埃が舞う。能力を使い、強化された力で跳躍したのだ。
 結局空を掴んだだけの手を呆然と見つめ、虎徹はその場に立ちすくむ。
 バーナビーの瞳の奥に宿っていた、めまぐるしい感情の色に思いを馳せながら。

「バニー……お前……」





 ――胸の奥から湧き上がってきたのは、怒りと、憎しみと、困惑と、そして変わることのない深い愛情。

「――どうして……」

 覚えのない想い、有り得るはずのない感情に、バーナビーはただただ混乱する。
 彼に対する憎しみが、こんなにも薄っぺらく嘘っぽく感じるのは何故だろう。
 どうして――心はあの人を、こんなにも深く深く求めているのだろう。

 彼は未だ逃走を続けている。眼下に広がるこの街のどこかで。
 次に会った時、あの濃琥珀の瞳はまた自分を真っ直ぐに見つめるのだろうか。
 あの揺るぎない瞳に見つめられて――次に逃れられる自信はなかった。

 それほどまで焦がれる自らの心の真実を、彼はまだ、眠らせたまま。
 再び色づき綻ぶその時を、待っている。


















20話視聴後降ってきたネタ。ホントはキャスターの台詞とかはアニメに忠実にすべきだったのだがメモなんてとってなかtt(ry


BACK





SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送