「――じゃあね、帝人君」
 そう言って、あの人は消えてしまった。
 僕らに、そしてこの街に、消えない傷痕と、そして――僕に、たったひとつの指輪だけを遺して。
 だから、僕は叫んだ。その背中に、あらん限りの声で。
「……絶対に、見つけてみせます! 絶対に!!」



「――みっかどー! 聞いてくれよ大ニュースッ!」
 突如バンッ!! と社長室の扉を開けて飛び込んできたその姿に、帝人はパソコンから顔を上げて思わず苦笑した。
「正臣、まず場所わきまえてよ。入るときにはまずノックでしょ?」
「おいおい冷たいこと言うなよ帝人ーっ! 俺とお前の仲じゃねーか!」
「一応ここでは取締役と専務の仲だけどね。で、何? 大ニュースって」
 自分の携帯端末にデータが全てダウンロードされたことを確認。軽くため息をついて手許のパソコンをスリープモードにしてから、改めて幼馴染に向き直る。
 池袋で再会し、そしてまた袂を分かってから十年。糸干余曲折あったもののなんだかんだで結局池袋に戻ってきてくれた正臣は、あの頃と変わらない人懐こい笑みで「ふっふっふ、聞いて驚け!」と帝人の前で胸を張った。
「何とッ! 本日取引先のオンナノコたちと合コンの約束を取り付けたのだッ!!」
「……あ、そこの書類、来週の頭までに片付けておいて貰える?」
「スルーするなよ帝人〜ッ!!」
「ちょっ、泣きつかないでよ! スーツ、スーツがヨレるからッ!!」
 帝人の必死の抵抗になんとか袖を掴む手を離した正臣は、だがそのまま帝人の傍でよよよ、と泣き崩れるフリをする。
「酷い、ひどすぎるぜ帝人……俺があんなに、あんなに苦労して新たなる出会いと出会いと出会いの場をセッティングしたというのに……。七夕だぜ? 年に一度のデートの日だぜ? しかも場所は銀座、銀座だぜ? セレブリティーレディたち憩いの場だぜ? それなのにお前、仕事って……帝人、お前は鬼か? 悪魔か? それとも天帝の使いなのか?」
「別に行くななんて言ってないでしょ……ていうか七夕ってそういう日じゃないしさぁ」
「いいや! 七夕というのは古来より年に一度、運命の人と出会うための日と決まっている!」
「毎年運命の人が変わるわけ?」
「ふっ! 帝人、運命とは移ろい易く変わりやすいものなのだよ! 一期一会っつーだろ、その日その日の出会いを大事にしろと! っつーわけで今日という運命の日の出会いをモノにするために出陣だ」
「あ、僕はパスね」
「なんだとぅッ!?」
 あっさりとした帝人の返答に正臣は大仰に仰け反った。オーバーリアクションだ。
「お前ッ、セレブリティーレディたちとの憩いが欲しくないのかッ!?」
「別に……」
「くっ……帝人、お前いまだに杏里一筋なのかッ……!」
「そ、園原さんは関係ないよね!? ていうか正臣こそ三ヶ島さんに知られたら何て言われるか知らないよ!?」
「おおおこの裏切り者ーッ!!」
 勢いに任せて正臣がゆさゆさと帝人を揺さぶる。
「ちょ、やめて気持ち悪いってば」
「自分だけ聖人気取りとは許さん、許さんぞっ!!」
「……何、聖人気取りって……別にばらすなんて言ってないじゃん」
 ようやく正臣の手から逃れた帝人がげっそりとした声で呟いた。まだ脳が揺れている気がする。
「じゃあ何だよ、合コンっつったのがいけないのか? 取引先との飲み会ってだけだぞ?」
「そうじゃなくて」
 正臣は軟派なようでいてその実きっちりと仕事をこなしてくれる。今回も合コン、合コンと騒いでいるが、飲み会にかこつけた仕事の取引であることは十分承知していた。だが。
「――今日は……ちょっと、用事があるから」
「用事ぃ?」
「うん」
 訊しげに首を傾げる正臣に頷いてみせる。無意識に、指に嵌めている指輪に触れていた。
 それを目ざとく見つけた正臣が渋い顔をする。
「……帝人、今更俺が言うのもなんだけどさ、やっぱり、諦めらんねぇ?」
「……」
 正臣のもはや哀願めいた問いかけに、帝人はだが俯いたまま何も言わない。しばし二人の間に沈黙が流れ――やがて正臣の方が根負けしたように大きくため息をついた。
「あー……ったく、わーった。わーったよ。お前がどーしてもって言うなら俺はこれ以上何も言わねーよ」
「……ごめん、正臣」
「あやまんなって。悪いのは帝人じゃないんだからさ。でもその代わり、あの人のことはいっぺん殴らせてもらうからな」
 冗談とも本気ともつかぬ口調、だがそれは本当に自分を思ってくれての発言であることを帝人はちゃんと理解している。
 だから、帝人は申し訳なさと嬉しさがない交ぜになった笑みを浮かべて、そっと呟いた。
「正臣、……ありがとう、ね」
「……ああ。がんばれよ」
 正臣もまた、苦笑しながら頷いた。



 夏の夜は短い。とは言え時刻も二十二時を過ぎればすっかり日も落ち、池袋の街からもちらほら明かりが消え始める。
 そんな、少しずつ眠りにつこうとし始めている街を、帝人は上へ、上へと昇っていくエレベーターの窓から見下ろしていた。
 携帯端末を開いて、ダウンロードしたデータを確認する。
『調査結果』と簡潔に銘打ってあるそれは、帝人がこの十年、ずっと集め続けてきたとある情報の結晶だった。
 十年――あの日、あの人がこの街の、自分の元から消えていなくなってしまってから、十年。
 ――俺は此処から消えるから。じゃあね、帝人君
 その言葉だけを残して、あの人は突然いなくなってしまった。文字通り、『消えて』しまったのだ。
 この街と、そして帝人自身に、消えない心の傷痕と――そして、たったひとつの指輪だけを遺して。
 指に嵌めたそれをじっと見つめる。
 サイズが合わなくて親指に嵌めているそれは、あの日あの人が自分の指から無造作に引き抜いて渡したものだ。
 それに何の意味があるのか、帝人は知らない。知るつもりもない。
 ただ、無造作に投げ渡されたその指輪こそが、突然消えるといっていなくなってしまったあの人の本心を表しているような気がした。
 突然「消える」と宣言した次の日――彼の宣言どおり突然携帯が繋がらなくなった。
 新宿のオフィスを訪ねてもそこは既にもぬけの殻で。彼の秘書を勤めていた矢霧波江や、彼の数少ない友人である岸谷新羅に尋ねてみても、「知らない」という答えしか返らず。
 そのうち、池袋で「あの男は死んだ」という噂がにわかに聞こえ始めた。
 それが果たして確証のある情報なのか、それともただの噂なのか――当時の帝人には判別することができず、ただ噂に翻弄されるしかなく。
 だから帝人は情報を欲した。流言飛語ではない、真実という名の情報を。
 そして、それを集めるだけの力を欲した。
 その結果――
 ガタン、とエレベーターが僅かに揺れて停止した。
 階数表示は「R」を示している。ゆつくりとドアが開き、帝人は鷹揚な足取りでエレベーターから降りた。
 ホールを抜け、少々古びた扉を開けると、そこは天井のない外だ。空は晴れ渡った星空、視線を巡らせればきらきらと輝く池袋の街並みが見える。
 帝人はゆっくりと歩を進めた。
 その先に――屋上の端、ガードフェンスのすぐ傍に、ぽつんと佇む黒い影に向かって。
 黒い影は帝人に背を向け、微動だにしない。帝人は駆け出してしまいそうになる自分を抑えながら、一歩一歩ゆっくりと近づいていく。
「――織女ベガと牽牛アルタイルは――」
 不意に、黒い影が言葉を発した。
 夜の闇に、朗々と響く涼やかな声。
「役目を忘れ逢瀬に耽るあまりに天帝の怒りを買い、一年に一度の逢瀬しか許されなくなってしまった――」
 帝人はそっと足を止めた。
 男はまだ言葉を続けている。
「それでも、星の寿命と年月を計算すると、逢えないのはたった三秒に一度だという人間もいる」
 そこで初めて――男が振り返った。
 月を背負う男の顔は翳になって定かではない。
 だがその表情を、帝人はありありと脳裏に描くことができた。
 つまり――全人類を平等に『見下す』、傍観者の笑み。
「たった三秒逢えないだけで催涙雨を流す二人の愛というのは、いったいどれほどのものなんだろうねぇ」
 影が嘲笑う。ベガとアルタイル、七夕伝説に准えた人間の謳う『愛』を、心から馬鹿にした口調だった。
 帝人はそれに物怖じする事無くきっぱりと答える。
「たった三秒でも、逢いたいと思ったときに逢えないのは辛いし、苦しいと思いますよ」
「たった三秒でも?」
「ええ、たった三秒でも」
 断言して、そしてふっと帝人は表情を歪めた。
「そんなに短い間でも逢えないと苦しいのに――」
 一瞬だけ、十年前の自分が顔を出す。
『ダラーズ』という力で、何でもできると思っていた、あの頃。
 所詮自分は一介の高校生に過ぎないのだと思い知らされた、あの頃。
 哀しい、辛い、切ない、寂しい――そんな感情を抱えて走り回った、あの頃がふとよみがえる。
「――僕は、十年も逢えませんでしたから」
 顔を上げて、真っ直ぐにその男の影を見据える。
 ずっと捜して、追い求めてきたその存在が、幻ではないことを確信するために。
 影がふっと肩をすくめた。
「苦しかった?」
「はい」
「辛かった?」
「はい」
「――そう」
 影が嘆息して俯く。
 風に流されてきた雲に月が翳り、――男を背から照らしていた月明かりが消え、代わりに地上で輝く人工の明かりが男の姿を闇に浮かび上がらせた。
 さらさらと風に流れる黒髪、光の加減で赤みを帯びる涼やかな瞳。黒で統一された上下に、やはり黒のジャケット。年齢を感じさせない、だが確実に年月を越えた風貌。
 帝人は万感こもった声で、はっきりと告げた。
「でも、やっと見つけましたよ。――臨也さん」



 ――たんっ、と軽くステップを踏むように、臨也が屋上の端から降りた。そのまま軽い足取りで帝人に近付く。
 久々に見たその顔は、十年という歳月の分だけ落ち着きと深みを増していた。
 臨也が小さく肩をすくめて、微笑う。
「――長かったね」
「長かったですよ、すごく」
「十年かぁ」
「おかげさまで、会社まで立ち上げてしまいましたよ」
「帝人君も今や社長ってワケだ。ははっ、なんか想像つかないな」
「想像できなくても、実際にそうですから」
「ふうん……」
 すぅ――と臨也が目を細めて、帝人を見た。
 帝人は微動だにせず、射抜くような目で真っ直ぐ臨也を見つめている。
 ぽつり、と臨也が呟く。
「俺を探すために、そこまでしたワケ」
 帝人は見据える視線を逸らさないまま、ぎゅっと拳を握り締めて、答えた。
「――ええ、その通りです」
「たったそれだけのために?」
「約束ですから」
「一方的なね」
 人を小ばかにした口調。言葉の裏に探されたことが迷惑だ、といった雰囲気がありありと伺えるそれに、だが帝人は決して怖気つくことも引くこともなく寧ろ真っ向からその言葉に立ち向かう。
「そんなことはありませんよ」
 あっさりとした否定に臨也がすっと目を眇める。
 帝人はちょっと小首を傾げ、同意を求めるように訊いた。
「探して欲しかったんでしょう?」
「俺が?」
「ええ」
 不意に帝人が銀色に光る何か、を臨也に向かって投げ渡した。キン、と澄んだ音を響かせるそれを臨也が拾う。
 それは――臨也が怪訝そうに眉をひそめた。
「――それ、お返ししますよ」
 帝人が微笑を浮かべたまま告げる。
 彼が投げ渡したもの、それは彼が今まで右手の親指に嵌めていた、指輪だった。
 十年前――他ならぬ臨也が帝人に渡したもの。
 さして興味もなさそうな風情で、臨也がその指輪を弄ぶ。
「ふぅん……要らないの?」
「ええ」
 酷くあっさりとした返答に、臨也がますます怪訝そうな顔をした。否――どちらかといえば、不満げですらある。
 だが帝人はそれに気付いていながら、敢えて浮かべた笑みを消さないまま、きっぱりと告げた。
「だから、代わりに違うものを下さい」
「――違うもの?」
 眉をひそめたまま首をかしげる臨也へ、帝人は一歩、距離を詰める。
「――たった三秒でも辛いと思うのに、十年も貴方を探し続けた僕の気持ちがわかりますか」
 もう一歩。今まで開いていた距離を、確実に詰めていく。
「試したんでしょう? 僕が噂に惑わされずに貴方を見つけることができるか。自分のことを――捜すか、どうか」
 更に、もう一歩。顔を上げればすぐ目の前に臨也の顔があった。逃しようのない距離。逃れようのない、距離。
「僕は――捜しますよ、貴方がいなくなったら。指輪なんて、なくても」
 だから。その先は伝えずともわかるだろうと言葉を切り、じっと臨也を見据える。彼の瞳は記憶にあるよりほんの僅か柔らかな光を帯びて見えた。
 だがその目はすぐに嘲りの色を含んで帝人を見返す。
「君さ――いい加減、いい年して俺に縋って、恥ずかしくないの?」
「そんなの、今更です」
 はぁ、と存分に呆れを含んだため息が返ってくる。
 帝人はそんなことなど構わず、寧ろ自分の方がよっぽど呆れている、といった体で肩をすくめてみせた。
「臨也さんこそ、恥ずかしくないんですか。僕みたいな子供相手に本気の賭けを嗾けて、仕事も何もかも全部棄てて、姿消して、噂まで流して。そう簡単に取り戻せるものじゃ、ないでしょう」
「君はもう子供じゃないだろ」
「子供でしたよ。貴方が姿を消したときは。貴方が僕にこのゲームを仕掛けたとき、僕はまだ子供だった」
「でも今は?」
「大人ですよ。おかげさまで。嫌でも成長しますから」
 臨也がじっと帝人を睨みつける。その目は「大人のクセに、まだ俺を追いかけるの?」と訊ねている。
 そんなこと関係ない、と言わんばかりに帝人はふっと笑った。
「捜しますよ。どれだけ掛かっても。三秒だろうが十年だろうが、どれだけ掛かっても、探します」
 きっぱりと断言して、今度は帝人が臨也をきっと睨みつけた。その目に揺ぎ無い意思を宿して。
 十年。人が成長するには十分な時間。その間に帝人は様々なことを学び、知り、そして気付いた。臨也が姿を消した本当の理由。自分を――これ以上、傷つけないように、諦めさせようとしていたこと。
 それを全て飲み込んで、それでも自分は捜し続けることを選んだ。
 彼を、選んだ。
 だから力をつけた。何もかもを傷つけて歩くナイフを手にするそのために。
 十年でも三秒でも――これからは二度と、逢えない時間(トキ)がないように。
 やがて――臨也の方が、折れた。
 ふっと肩の力を抜いて、笑みを浮かべる。それまで浮かべていた人を嘲笑うようなそれではなく、酷く愛おしげな――それでいて困ったような、苦笑を含んだそれ。
「帝人君、わかってんの? 君は俺から逃げられる最後のチャンスをふいにしたんだってこと」
「わかってますよ」
 何を今更、と帝人も微笑い返してみせる。その目の前にすっと手が伸べられた。
「――逃がさないよ?」
 挑戦的な口調。それを取ればもう、二度と離れられなくなるだろう。
 それがわかっていて、帝人はなんの躊躇いもなくその手を取った。寧ろ挑み返すように。
「逃げる気なんて――ありませんから」


















支部ログ。七夕に引っ掛けた話を書きたくなって書いてみたものの無理矢理すぎてというか(笑)
元ネタというか、インスピレーションは某あの花でも使われていた某10年後の8月な曲から。8月じゃなくて7月ですが。
まあなんていうか、帝人をこれ以上巻き込みたくなくなって逃げたはいいけど、帝人が結局会社立ち上げてまで追いかけてきて(多分情報コンサルタント系のでかい会社)追い詰められて、で結局観念して自分の欲望に従う臨也的なアレですよ(笑)
なんとなくオチがぼんやりしていたせいで上手く書き下せなかったのですが…。



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